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好物マカロンも断ち、過酷な減量。
レスリング・樋口黎が誓う師匠越え。
posted2019/12/26 20:00
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
Miki Sano
げっそりとした頬で、東京五輪への道をつないだ。
12月22日まで東京・駒沢体育館で開かれた全日本レスリング選手権。東京五輪アジア予選と世界予選の派遣選手選考を兼ねた大会で、'16年リオデジャネイロ五輪男子フリースタイル57キロ級銀メダルの樋口黎(日体大助手)が同階級で優勝した。
決勝では'17年世界選手権金メダルの高橋侑希(ALSOK)と対戦した。
得意の片足タックルからのローリングでポイントを重ねて7-1とリードすると、残り30秒で7-6まで追い上げられたが、最後は執念で競り勝った。
「残り30秒というのが見えて、ここで攻める気持ちを出さないといけないと思って切り替えた。それが良かった」
第一関門を突破したという安堵の表情をちらりと浮かべた。
65キロ級ではなく、57キロ級で勝負。
銀メダルを獲ったリオ五輪後、61キロ級、65キロ級と段階的に階級を上げたが、'17、'18年とも世界選手権切符をつかむことはできなかった。
時を同じくして、五輪種目の65キロ級には乙黒拓斗(山梨学院大)が台頭。乙黒が'18年世界選手権を日本男子史上最年少の19歳で制すると、以後は3学年下の新王者が樋口の壁となった。
'19年6月の全日本選抜の対戦では樋口が勝ったが、7月6日のプレーオフで敗れ、東京五輪の出場権に直結する'19年世界選手権代表の座を逃した。
すると、9月の世界選手権で乙黒が5位になって日本の出場枠を確保。階級変更を決意したのはこのタイミングだった。
「東京五輪で金メダルを取ることを考えたときに、世界で勝負するなら57キロ級だと思った。(65キロ級で戦うには)リーチの問題があったり、体組成的にも筋量が足りなかったり、こればかりはしょうがないのですが、体格差もあったので……」