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元プロテニスプレーヤー伊達公子に学ぶ
年齢にとらわれない前向きな人生の重ね方。

posted2020/01/01 11:00

 
元プロテニスプレーヤー伊達公子に学ぶ年齢にとらわれない前向きな人生の重ね方。<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

PROFILE

photograph by

Kiichi Matsumoto

 日本人初の世界ランキングトップ10入り、日本人21年ぶりのグランドスラムシングルスベスト4など、テニス界に数々の記録を打ち立てた伊達公子。
 活躍を続けていた25歳、世界ランク8位での突然の引退も衝撃は大きかったが、2008年、37歳での現役復帰もまた世間を驚かせた。年齢や常識にとらわれることなく、新たなチャレンジを続けてきた彼女は、50歳を目前にした今何を考えているのか。

 なんで8位の時にやめたのか、おかしいんじゃないかって、今だったら分かるのですが、あの時の私にはあれが最良の選択でした。

 高校を卒業後、右も左も分からない中でプロになり、英語もできないまま、海外をまわるようになって。結果を求められる世界でずっと時間を過ごしていくと、当然自分が求めるものも高くなっていくし、日々必死にもがいていました。20歳ぐらいでランキングがポンと上がって、強くなって、メディアからも注目を受けるようになった頃から、自分は変わっていないはずなのに、周りに変化が起きてきて。例えば、それまで普通に話していたことが悪いように記事にされたりとかして。ちょっとずつ人間不信になって、あまり人を信じちゃいけないんだって、少しずつ殻を作るようになっていきました。

歳を重ねるのはマイナスばかりじゃない。

 ファーストキャリアは年数で言えば、たった8年。人生に置き換えたらすごく短い期間なんですけど、濃縮された時間だっただけに、自分自身への影響力も大きなものだったんですね。悔しくて泣きたくても泣けない、思っていても口に出せない。最初は一生懸命自分を律していたのですが、そのうちにそれが自然となってきて……とにかく強い伊達公子でいなきゃいけないと、自分を作り続けていた。

 だからあそこで引退をしなければ、といまだに言っていただくことも多いのですが、あの時の私には必死の決断だったんです。たくさんの方からお手紙ももらったし、いろいろな方に説得もされました。でもテニスが大好きな少女から、ランキングが上り詰めて、世界がどんどん変わってという変化に本来の私がついていけてなかった。本当にいっぱいいっぱいの状態で、強い伊達公子で必死になって戦い続けてきたからこそ、どんな言葉を聞いても響かなかった。引退は自分を保つための最良の方法だったのです。

 今でも覚えているのですが、29歳の最後の日、明日から三十路に入ってしまうと思って、すごく憂鬱だったんですよ。明日から30歳だ、人生終わってしまうぐらいのことを思っていました(笑)。でもいざ30歳になったら、当然ですけど大きな変化を感じるわけでもないし、31歳になっても何も変わらないんですよね。20代、30代と10年単位で考えれば、体力が少し落ちたかなとか、重力ってこんなになるんだなとか、肌の衰えだったりは感じます。でもそれって、実体験をして初めて見える変化なんですよね。で、どうしてもそういう目に見えるものに目が行きがちになるのですが、私は10代、20代で経験したものを積み重ねた上で、30代を過ごすとこんなに精神的に満たされるんだ、プラスのことの方が多いんだってことが分かった。じゃあ、30代の10年が積み重なれば、40代はもっと楽しくなるなって気づいて。歳を重ねることは決してマイナスばかりじゃないということが分かってから、私は年齢のことについてはネガティブじゃなくなりました。

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