マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
パワハラに指導者がビビる時代に、
球児たちが発揮すべき「聞く力」。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2019/12/17 08:00
高校野球の指導者と選手の監督の関係は変わっていく。新しい形を見つけ出す必要があるのだ。
厳しい指導者への教え子の気持ち。
思い出したことがあった。先月、11月だ。
昨年で長い指導生活を勇退したある大学野球監督の手記を制作する過程で、こんなことがあった。
ある日、打ち合わせに監督さんのもとを訪ねたら、原稿を何枚か渡された。4年生のマネジャーが書いてきたという。
読み始めて、その文章にぐんぐん引き込まれた。
マネジャーとして接してきた監督さんとの4年間が実に克明に、しかし簡潔に、しかも自分の言葉で綴ってある。
「すごい文章じゃないですか……これ、監督さんが書くように言ったんですか?」と言ってフッと目を上げたら、目の前で“鬼監督”がボロボロ涙を流している。
マネージャーさんが自発的に書いて、これを監督さんの本に載せてください! と持ってきたそうだ。その気持ちが嬉しいと、監督さんがくしゃくしゃになって泣いている。
あまりの厳しさに、ともすれば選手たちが引いてしまう。そんな傾向もあった野球部の中から、自分で書いて、載せてくださいと持ってきた学生が現れた。
私にとっても、嬉しい大ショックだった。
いま、指導者はビビっている。
今の高校野球界、いや中学も、大学も、社会人野球も、ひょっとしたらプロ野球だって、今は指導者たちがひどく遠慮がちになっている。いや、叱られることを恐れずにもっとドンピシャの表現をすれば、ビビってしまっているのが実情だ。
「ビビってるぐらいでちょうどいいんですよ。そのほうが、なんにも起こりませんから……」
そう自嘲ぎみにつぶやく指導者すらいた。
病んでいる……野球の現場が指針を失って病んでいる。
なんとも難しい状況になってしまっているように見えるが、いや、待て……ちょっと待てよ。本当にそうだろうか。