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古豪復活を目指す沖縄水産の今――。
甲子園請負人が秘める夏への期待。 

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高木遊

高木遊Yu Takagi

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posted2019/11/17 09:00

古豪復活を目指す沖縄水産の今――。甲子園請負人が秘める夏への期待。<Number Web> photograph by Yu Takagi

甲子園準優勝記念碑の前で写真に収まる上原忠監督。沖縄の球児たちとともに「甲子園請負人」が22年ぶりの夏を目指す。

沖縄に残ってもらえる環境づくりを。

 上原の指導者としての実績・人脈によって再び沖縄本島や離島の各地から選手が集まる「オール沖縄」が形成されようとしている。

 上原監督が投手の二枚看板として期待する2人は、ともに中学時代は所属していた中学校の野球部が強くはなかったものの、130キロ台中盤のストレートを投じる十二分な実力を持っていた。左腕の古波藏(こはぐら)悠悟は離島の久米島から入学し寮生活、右腕の石川愛斗(まなと)は学校から約30km離れた浦添市から入学し父の車で通学と、わざわざ「高いレベルで野球をやりたい」と沖縄水産にやってきた。

 沖縄県内の中学球児は現在、毎年70人ほどが県外の高校へ“流出”しているとされるが、この言い方にも上原は異を唱える。

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「“取られた”“引き抜かれた”じゃないんです。残ってもらえるような環境にしないと。この4年で野球をする環境はもちろん、学校の偏差値も上がって進学する選手も多数になった。そこを頑張らないで“取られた”と言ってはダメだと思うんです」

 取材中は終始控えめだったが、このことについては上原の自負がうかがえた。

22年ぶりの扉は開くのか。

 秋は興南に勝った次の嘉手納戦に0-1で敗れ、センバツ出場への道が事実上、閉ざされた。ただ、上原が「この新チームは(今年の)夏までのチームより、もともとの能力で劣る分、素直で向上心も高い。自覚のある選手が多いチーム」と話すだけに、腕の見せどころでもある。来夏に向けて話を振ると「手品のタネみたいな引き出しがいくつかあるので、それをもとに夏はね」とニヤリと笑った。

 甲子園に出場したのは新垣渚(元ダイエー、ソフトバンク、ヤクルト)を擁した1998年夏が最後。20年間以上も閉ざされ続けた扉は、2020年の夏に開くのか。上原と、そのもとに集った選手たちによる古豪復活への挑戦に大きな期待が寄せられている。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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