甲子園の風BACK NUMBER
中谷監督と黒川・東妻の3年間。
智弁和歌山、運命のドラフト会議。
posted2019/11/08 08:00
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Noriko Yonemushi
今年9月にプロ志望届を提出した智弁和歌山高の黒川史陽と東妻純平は、ドラフト会議を前に、こんな約束をしていた。
「どっちかが呼ばれて、どっちかが呼ばれなくても、普通に話そうな」
迎えた運命の日、2人の名前は無事、読み上げられた。
先に呼ばれたのは黒川だった。東北楽天の2位指名。これほど早く呼ばれるとは思わず、中継を見ずに東妻と2人で話している間に指名され、慌てて記者会見場に現れた。
「嬉しいです。今はビックリしています。純平のほうが先だと思っていたので……」と率直な思いを口にした。
メディアのドラフト予想を見ても、黒川の上位指名は予想されていなかった。黒川はチームメイトに「予想しといて」と頼んでいたが、池田陽佑は「ソフトバンクの4位か5位」、西川晋太郎は「楽天4位」、入江諒は「楽天5位」といずれも外していた。
中谷監督が感じた「あ、プロ行くな」。
黒川は1年夏から甲子園に出場し、勝負強い打撃が光った。ただ、主将として臨んだ最後の夏の甲子園は、力んで思うような打撃ができなかった。13打数1安打と苦しみ、延長14回にサヨナラ負けを喫した3回戦の星稜戦のあとは、敗戦の責任を背負いこんだ。
目標としていたU-18ワールドカップの日本代表にも選ばれなかった。
悔しさを押し殺し、「これで選ばれて行ってたら勘違いすると思うんで、その間に、行ってるやつらに追いつく気持ちで練習します」と語っていた。
星稜戦の翌日、泣きはらしたせいではれぼったい目をした黒川は、宿舎から練習着でバスに乗り、学校に戻ると、東妻とともに後輩たちの練習に参加した。
智弁和歌山の中谷仁監督はこう振り返る。
「黒川と東妻の2人に関しては、取り組み方を見ていたら、『あ、プロ行くな』と思いましたね。星稜に負けた次の日に、一番最後まで2人が残って練習してるんですから」