ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
32年が凝縮されたライガーvs.みのる。
“人間サンドバッグ”と座礼の記憶。
posted2019/10/18 11:30
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Essei Hara
試合前の罵り合いも、マスク剥ぎも、鬼神ライガーも、ほんの前振りでしかなかった。
新日本プロレス10.14両国国技館で実現した、獣神サンダー・ライガーvs.鈴木みのるの一騎打ち。さまざまな因縁、物語を内包したこの一戦は、両者が32年前に出会ってからのレスラー人生をぶつけ合うような試合となった。
ライガーvs.鈴木といえば、必ず引き合いに出されるのが、2002年11月30日、横浜文化体育館で行われたパンクラスでの一戦だろう。
当時、鈴木は頚椎ヘルニアの影響で、パンクラスで思うような結果が残せなくなり、一度は引退を決意。最後のケジメとして、若手時代のライバル佐々木健介とがむしゃらに闘って燃え尽きようとしたが、健介の辞退により、ファイナルマッチ自体が宙に浮いてしまう。
そんな時、かつての先輩ライガーが、鈴木の行き場のない思いを受け止めて対戦に名乗りを上げ、パンクラス(総合格闘技)ルールで対戦。鈴木はマウントパンチからの最後はチョークスリーパーでライガーをTKOで下すとともに、この一戦を機にプロレス復帰を決意した。いまの鈴木みのるは、この時のライガー戦なくして存在しないのだ。
“新日本”を体現してくれた先輩。
今回は、あれから17年越しの決着戦。しかし実際には、'17年ではなく、ふたりの32年の月日が凝縮したような試合となった。
鈴木みのるにとってライガーは、若手時代にもっとも親しい先輩のひとりだったが、そもそもなぜ特別な存在になったのか。以前インタビューした際、鈴木はこう話してくれた。
「俺は新日本の新人の頃、『1日でも早く強くなりたい!』と思っていた。だから、とにかく強くなるための練習がしたくて。そのためにはスクワットとか基礎体力運動も大事だけど、そんなことよりスパーリングやって、相手を参ったさせられるようになりたかったんだよね。
でも、当時の先輩方に『スパーリングお願いします!』って言っても、みんな嫌がってやってくれなかったんだよ。あの頃、そういうスパーリングの強さを求める人は、みんなUWFに行っちゃってて、『そんなのはプロレスに関係ないから』っていう人が多かったんで。
すごくガッカリしたんだけど、その中でライガーと船木(誠勝)は、逆に『来いよ!』ってスパーリングやってくれたから、俺にとっては大事な存在だったね。俺が当時思い描いていた“新日本”を体現していた先輩がライガーだったような気がする。それで毎日一緒にスパーリングしながら仲良くなっていったんだよ」