競馬PRESSBACK NUMBER
あのレッドディザイアと同枠同番。
秋華賞で開花したクロノジェネシス。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2019/10/16 07:30
2010年ドバイのアルマクトゥームチャレンジラウンドIIIを制したレッドディザイア。右隣が当時調教助手だった斉藤崇史調教師。
ウオッカが8着に沈む中での勝利。
当時のドバイワールドカップはタペタ社製のオールウェザー馬場で行われていた。その前哨戦であるアルマクトゥームチャレンジラウンドIIIも当然、オールウェザーの一戦だった。
松永幹夫調教師は「ここで好走出来ればドバイワールドカップへ進み、もし駄目なら芝のドバイデューティーフリー(現ドバイターフ)へ向かう事になると思う」と言い、このレースに挑戦した。関係者をしても果たしてオールウェザーでどのくらいの競馬が出来るのか、手探りだった事が分かるコメントだ。
そんな中、「オールウェザーは走れそうな気がします」と語っていたのが、当時、松永幹夫厩舎で調教助手をしていた斉藤崇史現調教師だった。斉藤助手は続けて言った。
「競馬と調教が違うのは勿論、分かっています。でも、調教で乗っている限り、オールウェザーは苦にせずに走っている感じがあるんです」
結果、ウオッカが8着(レース後、鼻出血が認められ引退)に沈むのとは対照的に抜け出して優勝した。2着が後にドバイワールドカップを優勝するグロリアデカンペオンだったのだから、価値のある勝利だったわけだが、この可能性を口にしていたのが斉藤助手だったのだ。
ブエナビスタに雪辱した秋華賞。
さて、話は更に遡る。レッドディザイアは3歳だった前年の09年、桜花賞とオークスで連続2着。彼女の前に立ちはだかったのはいずれのレースでもブエナビスタだった。後に天皇賞(秋)('10年)やジャパンC('11年)で牡馬を相手にGIを勝つ名牝の前に悔し涙を流したのだ。
しかし、秋にはその悔し涙をうれし涙に変える。牝馬三冠最後の一冠となる秋華賞でついにブエナビスタに雪辱。GI馬となってみせたのだ。
この歴史があったからこそ、クロノジェネシスが春の二冠で惜敗した後に言葉をかわした際、レッドディザイアの名を挙げたのだ。