濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
キャリア3年7カ月の完全燃焼。
異色レスラー・テキーラ沙弥の生き方。
posted2019/10/10 07:30
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Norihiro Hashimoto
ある選手の引退の話をしたい。
女子プロレス団体アイスリボン所属のテキーラ沙弥である。トップ選手というわけではないが、そのキャリアはとても現代的だと思うのだ。
9月23日の横浜ラジアントホール大会、メインイベントのタッグ王座戦で防衛に失敗すると、沙弥はリング上で引退を発表した。ラストマッチは10月12日の後楽園ホールだというからずいぶん急だ。9月14日には横浜文化体育館でのビッグイベントもあり、日程的に続けざまの王座戦だった。大事な試合を、自分の“引退ロード”という見せ方にしたくなかったのかもしれない。
引退すること自体は以前から決めていた。というより、最初から「3年間だけやる」と期間限定のプロレス生活だった。2016年3月デビューだからキャリアは3年7カ月。予定より長くなったのは「楽しくてやめられなかった」ためだ。周囲の引き止めもあった。タッグベルトをともに保持したパートナー、ジュリアは沙弥が引退すると分かっていて、短期間でもいいからとチーム結成を望んだそうだ。
30歳を過ぎての“遅咲き”デビュー。
キャリアを限定したのは、30歳をすぎての遅いデビューだったからでもあるのだろう。バンドのヘアメイクをしていた時代もあるし、バーの経営もしていた。リングネームはテキーラソムリエの最上級資格を持つことから。キャッチフレーズは「日本テキーラ協会公認レスラー」である。
アイスリボンの佐藤肇社長は、沙弥を「人見知りだけど社交的であろうとするタイプ」だと語っている。本人によれば「(選手としては)若手だけど大人だからできる提案、大人だからできる行動をしようと思ってきました」。その1つが、若手選手主体のイベント『P's Party』、通称“ピースパ”のプロデュースだった。