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ノーヒットノーランは約0.15%。
91度の投手、捕手、そして球団は? 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2019/09/18 11:50

ノーヒットノーランは約0.15%。91度の投手、捕手、そして球団は?<Number Web> photograph by Kyodo News

千賀滉大に続き、史上81人目のノーヒットノーラン達成投手となった大野雄大。この短期間で2人のノーヒッターが生まれるのも珍しい。

キャリア7勝で達成した投手も。

 ノーヒットノーラン投手の、通算勝ち星が少ないほうから5人を見てみよう。

7勝 エルビラ(近鉄 2000年)
10勝 藤本和宏(広島 1971年)
12勝 近藤真一(中日 1987年)
23勝 佐々木吉郎(大洋 1966年)
24勝 浅野勝三郎(阪急 1940年)

 外国人選手のエルビラは2シーズンしかいなかった178cmの左腕だ。20世紀最後のノーヒットノーランを記録したが、覚えているファンは少ないのではないか。

 広島の藤本は1967年から74年まで西鉄、広島でプレーしたが、勝ち星を挙げたのはノーヒットノーランを記録した1970年だけ。この年だけで10勝を挙げ、それ以外の年は0勝だった。

 近藤真一はプロ入り初登板でノーヒットノーラン、筆者はテレビで見ていたが、本当に衝撃的だった。しかし12勝どまり。ひじを痛めてトミー・ジョン手術を受けている。

 こうした数字を見ると、やはりノーヒットノーランは「運」だということがわかる。

 ノーヒットノーランが記録されるたびにぼやくのが、大捕手・野村克也だ。

「わしは一度もノーヒットノーランのボールを受けていない」

 それもそのはず、野村が大捕手として君臨した南海(のちのダイエー、ソフトバンク)では、戦時中の1943年5月26日に別所昭が大和戦で記録して以来、今年9月8日の千賀滉大まで76年間もノーヒットノーランに縁がなかった。

 南海は1938年秋季からリーグ戦に参加している老舗だ。同じ老舗の巨人が16回、中日が11回、阪神、オリックス(阪急)も9回記録しているのに、ホークスはたったの2回。

 いかに野村がすごい持久力でも、76年もノーヒットノーランがなければ、縁がなくても仕方がないのだ。

ノーヒットノーラン達成時の捕手は誰?

 そこで、ノーヒットノーランを受けた捕手別に調べてみた。多い順から5人。途中出場も含む。試合数は捕手としての出場試合数。

4回 佐竹一雄(大陽、国鉄)889試合
4回 和田博美(西鉄)1086試合
3回 吉原正喜(巨人)339試合
3回 吉田孝二(巨人)907試合
3回 谷繁元信(中日)2963試合

 割と渋めの顔が並ぶ。4回の佐竹は終戦直後にプロ入りした捕手。金田のノーヒットノーランを2回(1回は完全試合)とも受けている。

 和田は西武のコーチを長く務めたので、ご記憶の人も多いだろう。捕手ながらスマートでダンディな人だった。4回のうち完全試合が2回。これは最多。

 吉原は大打者・川上哲治と熊本工業時代からバッテリーを組んだ、俊足強打の捕手。戦死したが、わずか3シーズンの間に3回ノーヒットノーランを受けた。野球殿堂入りしている。

 吉田はV9時代、森昌彦の控え捕手。1967年の堀内恒夫の時も森が交代した後、最後を締めくくったものだ。

 谷繁は横浜時代はなく、すべて中日で3回。

 野球殿堂入りした捕手では、森昌彦(2回)古田敦也(2回)、伊東勤もノーヒットノーランの経験がある。捕手として谷繁に次ぐ出場試合数を誇る野村克也が「0」なのは、確かに結構目立つ。

【次ページ】 最多球団は巨人、最少は新しいあの球団。

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