炎の一筆入魂BACK NUMBER
広島中継ぎ・中村恭平を覚醒させた、
家族、筋トレ、「理論的な正解」。
posted2019/09/17 19:30
text by
前原淳Jun Maehara
photograph by
KYODO
広島の本拠地・マツダスタジアムで'90年代ポップソングに乗って、背番号64がマウンドに上がる。平成生まれの“マイペース”左腕・中村恭平も、今年3月に30歳となった。迎えたプロ9年目、昨年までの通算登板数を1年で上回り、今やチームのセットアッパーを務める飛躍を見せた。
大型左腕として'10年のドラフト2位で入団した。高橋建(現阪神ファーム投手コーチ)から背番号22を受け継いだように、大きな期待を背負った。だが1年目は先発3試合で0勝2敗。初勝利は3年目だった。だが、一軍に定着できず、'14年は一軍登板なし。その後も一軍1桁登板や登板なしが続いた。
150キロ超の直球がありながら……。
勝負の世界に身を置きながら、他を蹴落としてでものし上がろうとするようなタイプではない。チーム内で年長組となっても、中村恭の周りには後輩たちが集まる。人として魅力的な脱力感のある人柄は一方、アスリートとしては一軍に定着しきれない弱さにつながっていたように感じられた。
150キロ超の直球がありながら、昨年まで二軍が主戦場だった。自ら所属を(二軍練習場が厳島神社に近いことから)「宮島カープ」と口にしていたこともあった。球は速いけれどコントロールが悪く、変化球も安定しない……が中村恭への評価。通算2勝目を挙げた16年は課題克服のため、直球が130キロ台まで落ちる弊害もあった。
'17年オフには背番号が22から64に変更。蛇行しながらプロ野球人生を歩んできた。そのまま成功というゴールにたどり着けず、プロ野球人生の終着も覚悟しなければいけない立場だった。
「昨年だけじゃない。ここ何年もずっとクビになるかもしれないというのはありました」