野ボール横丁BACK NUMBER
奥川恭伸は誰よりも穏やかなエース。
笑い、泣き、不安すら受け入れて。
posted2019/08/28 11:50
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Hideki Sugiyama
こんなに穏やかな一流投手を見たことがない。星稜を準優勝に導いたエースの奥川恭伸のことである。
取材のときも、試合中も、いつもニコニコしていた。その理由をこう語る。
「暗いチームに勝利の女神はきてくれないかな、と」
もちろん、ピンチを切り抜けたときは、マウンドで大声を挙げたり、拳をつくったりすることはあったが、そうしたアクションもじつに控えめだった。
野球の投手だけに限らず、アスリートと呼ばれる人種は、大なり小なり自分を強く見せたがるものだ。だが奥川は、そうした虚勢とも無縁だった。
3回戦の智辯和歌山戦の前、記者に楽しみかと問われたときも、何の抵抗もなく「陥落」した。
「楽しみじゃないですよ、ホントに。楽しみというより、怖いです」
決勝の履正社戦の前も、不安はあるかと問われ、あっさりと認めた。
「不安は大きいです。いつも、大きいです」
大投手たちが避けた「緊張」という言葉も。
試合中、襲われた不安も隠さなかった。2回裏に1点を先制した星稜だったが、奥川は3回表に3ランを浴び1-3と逆転されてしまう。その後は、走者を出しながらも7回までは追加点は許さなかったが、精神状態はぎりぎりだった。
「あそこの3ランがなかったら、終盤、もっと大量失点してたんじゃないかなと思う。自分の勘というか、そういう感じがする」
それぐらい履正社打線の目に見えない圧力はすさまじかったようだ。
歴代の大投手たちは緊張という表現も極力避ける傾向にあったように思う。だが、奥川はいつも「適度な緊張感はある」と、むしろ積極的に使った。
「何試合経験しても緊張はしますよ。みんな同じだと思う。でも、それが味わえるのも甲子園ならでは。(緊張感に)圧し潰されないようにはなりました」
また、涙が込み上げてきたときは、それに抗うことなく、流れるままに任せた。智弁和歌山にサヨナラ勝ちしたときは、整列の際、相手のキャプテン・黒川史陽に「絶対、日本一になってくれ」と声をかけられ、号泣した。