“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
千葉の2強を倒し、33年ぶりの全国へ。
日体大柏高校とレイソルの相思相愛。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2019/07/01 07:00
日体大柏を率いる元Jリーガー酒井直樹監督。強豪2校を倒し、千葉県代表としてインターハイに挑む。
日体大柏と柏レイソルとの関係。
日体大柏は、もともと柏U-18に所属する選手を多く受け入れていた縁もあり、'15年に相互支援を目的として提携契約を結んだ。これにより同校は、柏U-18の活動を総合的にサポート。柏U-18の選手全員が日体大柏に進学する中、同校のサッカー部の強化として、柏側が指導者を派遣することとなった。
酒井監督は柏からの出向という形で、'16年に日体大柏サッカー部の監督に就任をしたのだった。
「ずっとジュニアユースの監督などをやっていたのですが、日体大柏の監督になるかもという話は以前から聞いていました。僕は元々高体連出身ではないので、難しい部分が多いだろうなと思っていました。'16年に就任した当初、レイソルからの出向は僕1人。これまで日体大柏サッカー部を支えてくれていたスタッフの協力のもと、200人近い部員を率いることになりました」
酒井監督は中学、高校と日立サッカースクール柏(現・柏U-15、U-18)に所属し、現在シンガポール代表監督を務める吉田達磨氏はチームメイトだった。
「僕の中での高校サッカーのイメージはレイソル時代に一緒にプレーした北嶋秀朗、大野敏隆、永井俊太などのように、特出した個が出てくる印象でした。当時、クラブ育ちの選手と比べて、高体連はタフで打たれ強いイメージもあった。高校の時も国体選抜にクラブユースの選手の中で唯一選ばれ、当時は市立船橋の秋葉忠宏、習志野の大塚真司らと一緒にプレーしましたが、みんな能力が高くて精神的にも強かったですね」
「自分の理想を押し付けてしまった」
未知なる領域に足を踏み入れた酒井監督は、就任当初から柏の育成でやっていた「ボールを大事にするサッカー」をチームに植え付けようとした。もともと日体大柏には力を持った選手がいたため、技術にフォーカスを当てた指導で、ある程度のレベルまでは引き上げることができた。だが、“その先”までは見えなかった。
「正直、1、2年目までは自分のエゴが出てしまい、選手たちに自分の理想を押し付けてしまっていた。いくら理想を追求しても、結果は県の準決勝止まり……。市立船橋、流経大柏、八千代に阻まれるという状況が続いてしまった。
昨年あたりから、これまでを冷静に振り返りながら、未来のチーム像を考えたときに『このチームの目的は何か?』と選手たちに問いかけると、『勝つことです。全国に出ることです』とみんなが口を揃えていた。指導者以上に選手たちが『勝ちたい』と思っていたんです。だからこそ、ベースは大事にするけど、いざ勝負となったときは、別の選択肢も出せるようにしようと。すべては選手たちの勝ちたいという気持ちを具現化するために、僕の中で新たなトライをするようになったんです」
近年、理想を追求する指導者やクラブは増えてきている。取り組むサッカーにこだわりを持ち、海外の戦術や指導メソッドを勉強して現場に落とし込むことは素晴らしいことだし、全く否定しない。
だが、筆者はそれらを「育成」という言葉で逃げて、勝つことを否定するのは違うと思っている。勝負も育成の延長線上になければならないもので、切り離して考えるものではない。
当然、その両立は非常に難しく、葛藤を生む。酒井監督もその壁に直面した。しかし、そこで決断を後押ししてくれたのは、選手たちのひたむきな姿だった。