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<「2019世界柔道」直前インタビュー vol.4>
未来を背負う気鋭たち。

posted2019/07/18 11:00

 
<「2019世界柔道」直前インタビュー vol.4>未来を背負う気鋭たち。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

左から、女子57kg級・芳田司(コマツ)、女子48kg級・渡名喜風南(パーク24)、男子81kg級・藤原崇太郎(日本体育大学3年)、男子90kg級・向翔一郎(ALSOK)。

text by

雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

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Takuya Sugiyama

8月25日に開幕する「PARK24 GROUP presents 2019世界柔道選手権東京大会」(以下、2019世界柔道)に挑む日本代表全23選手。それぞれの胸の内に迫る全7回連載の4回目。

 1956年5月3日、東京・蔵前国技館で第1回世界柔道選手権大会(世界柔道)が開催された。当時は階級の区分はなく、世界21カ国から31人の選手が参加し、夏井昇吉が初めての王者に輝いた。以来、日本は男子64人、女子26人と合計90人の世界王者を輩出してきた。これはもちろんどの国よりも多く、次々に現れる新たな才能が日本柔道の歴史を形作ってきた。それは今も同じである。

「ああ、いつもとは違うんだな」

 3年前、まだ20歳だった芳田司はリオデジャネイロで身に染みてそう思った。そう思って震えていた。

「まずは海外の選手の雰囲気がガラッと変わっていた。日本の選手もみんなそうだし、(練習相手として)同行させてもらっていた(女子63kg級代表の)田代先輩の雰囲気も違う。みんなの殺気が、あとがない、明日死んじゃうの?と感じるぐらいだった」

 女子57kg級の代表にはロンドン五輪金メダリストの松本薫が選ばれていた。芳田もリオ五輪では最終盤で代表を争う一人に名を連ねた。だが実際に五輪の切迫した空気を肌で感じてみると、安直に参加していいものではないのだと気づいた。

「私なんて無理だと尻込みしていたけど、行ってみたらやっぱり無理だった。なんか勉強不足だったというか、すごく遠のきました」

ナイーブさが消えた芳田司。

 五輪っていったい何なんだろう。リオ五輪を目指す上でそんな風に思い悩んだ芳田にとって、問答無用で突き付けられた五輪の大きさ、重さが答えだった。それが成長の糧となり、確固たる目標ともなった。

 リオ後に松本が産休で不在となると、芳田は日本のトップとして世界ランキング1位に上り詰め、2017年の世界柔道では銀メダル、翌年には金メダルを獲得して女子57kg級のエースとして不動の地位を確立した。引退を決めた松本と入れ替わり、東京五輪代表の最右翼である。

「松本選手に対してはずっと一ファンだった。キャラクター性がすごくて、そのキャラクター性の反面、すごく慎重で繊細な一面があるのが見ていて分かる。そういうのが分かるともっと好きになるし、魅力に感じるんですよね。私もそういうのを表現できるようになりたい」

 そう語る姿に五輪に圧倒されていたナイーブさはもうない。

「こんなに自分に期待して、期待されて、日々を過ごせるのって少ししかない。環境というか、時代というか、東京五輪というものに動かされている自分がすごくいるなと思います」

 むしろ期待に胸を膨らませて、五輪へと近づく世界柔道の連覇を見据えている。

【次ページ】 ライバルに一歩ずつ近づく渡名喜風南。

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