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若乃花×武蔵丸、スペシャル対談。
先輩横綱として相撲界に思うこと。
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byTetsuo Kashiwada
posted2019/06/03 07:00
対談で穏やかな表情を見せる2人。武蔵丸(左)と若乃花の戦いぶりは相撲史を鮮やかに彩った。
大事にしたものはやっぱり稽古。
――おふたりが横綱時代に、一番大事にしていたものはなんでしょう。
武蔵丸 稽古(即答)。「心技体」を磨くのは、やっぱり稽古だよ。稽古をやれば心も付いてくる。稽古ができてないと、本場所で勝てないもの。今の横綱みたいに「調整」なんて言葉はなかったよ。本場所中でも申し合いの稽古をガンガンして、それから土俵に上がっていたくらいだもん。
若乃花 う~ん、大事にしていたもの……。僕の場合は、横綱に上がることが最終的な目標ではあったんですよね。もう体がボッロボロだったから、まさか上がれるとは思っていなかったんだけど。12勝3敗で横綱昇進を決めた場所の、千秋楽の一番の相手も親方だった。親方に勝ったのに全然うれしくなくて、「どうしよう……。昇進してしまう」と花道下がる時に、天井見上げてね。「横綱になっても横綱相撲は取れないし……。辞めるしかないんだ」と、支度部屋の白い壁を呆然と見つめている自分を覚えてるんですよ。
横綱としての責任感と戦う日々。
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――横綱の理想像や地位にどんなイメージを持っていました? 若乃花さんの場合、弟の貴乃花が身近にいて、武蔵丸さんの場合は同じハワイ出身の曙がいましたよね。
若乃花 実はそれまで横綱っていう言葉は、僕はあまり口にしたことがなかったんです。父が横綱になれずにコンプレックスがあったようで、大関のままで辞めた人の悲しい性を感じてもいたから。「自分が横綱に上がったらこうなりたい」とは考えたことがなかったし、「自分らしく行こうかな」と思うしかなかったんです。ただ、初代若乃花――伯父と栃錦さんの相撲はビデオでよく見ていましたね。あの時代の力士の体格と自分がよく似ていたから。よく横綱の品格について言われるけど、それは持って生まれたもので、自分じゃわからない。どうやって磨くかもわからない。
武蔵丸 俺の理想像は師匠。師匠しかいない。俺の場合は、師匠がいたから、生きた話を聴けたのがよかったんだ。
若乃花 弟は僕と素質も体も違って、相撲に適した体つきだし、強さもあったし、まったく比べられないですよ。親方や曙と四つに組んで相撲取れるのを、「いいなあ。僕もあのふたりと組んで相撲取ってみたいなぁ」と思って見てはいましたけど。
武蔵丸 やっぱり一番強かったのは貴乃花だったな。
若乃花 うん。それを言うと、昔、曙が怒ったんだよね(笑)。
――横綱の責任感、プレッシャーはどんなものでしたか?
武蔵丸 それは重いよ……。1回負けただけであれこれ言われるからね。俺、途中で横綱でいるのが嫌になっちゃったもん(笑)。大関のままでよかったなって。
若乃花 僕もそう。歩き方まで怒られてね。一門の古い兄弟子に、「もうちょっと横綱らしくしてくれ」と言われたりもしたんですよ。当時から「横綱らしくない横綱だ」とよく言われていたし、よく理事長室に呼び出されて叱られていたし(笑)。
武蔵丸 俺も音楽ガンガン流しながら場所入りしたり、変だったかもな(笑)。
若乃花 みんな当時の横綱は個性があったよね。