ラグビーPRESSBACK NUMBER
「ゆるくラグビー観戦」という文化。
オーストラリアの週末で見た解放感。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byMiho Watanabe
posted2019/05/23 07:00
おどろくほど「ゆるい」空気の中でラグビーの試合が続く。日常に溶け込む、とはこういうことなのかもしれない。
警備もロープもイベントもない。
15ドルを払った一般の観客は、スタンドで、芝生で、あるいはピッチサイドのベンチで、ビールやワインを飲んでいる。スタジアム全体からグビグビと音がするぐらいの勢いで、アルコールが消費されていく。
ピッチサイドは子どもたちの遊び場だ。クリケットサイズの芝生にラグビーのコートを切り取ると、芝生がかなり余る。子どもたちが遊ぶには格好のスペースで、試合の流れなどお構いなしにじゃれあっている。
えっ、試合中に子どもが遊ぶ? 日本ではちょっと考えにくいが、スポーツ観戦の定義がそもそも違うのだろう。
ここには、警備員がいない。
選手と観衆の動線を区切るロープやパイロンがない。
広告代理店が仕込んだイベントもない。
禁止事項が書かれたビラが配られることもなく、観戦マナーを啓発する看板も立っていない。
あるのは、むき出しのホスピタリティである。
キレイに包装されているわけでなく、リボンもついていないイベントだが、集まってきた人たちに何も強制しないし、何も制限しない。
「あなたの好きなようにこの空間を使って、どうぞ週末のひと時を楽しんでください」といったクラブのスタンスが、一見すると無秩序な空間に、ラグビーを観るための秩序をもたらしている。ピッチサイドを駆けまわる子どもたちも、試合に飛び込んでいったりはしないのだ。
数多ある選択肢の中でも、ラグビーは人気だ。
マンリー地区にはビーチだけでなく美術館や水族館、週末開催のマーケットなどがある。シドニーはフェリーで30分圏内だ。余暇の選択肢は見つけやすいが、“マーリンズ”の試合はなかなかの人気を獲得している。
オーストラリアにはラグビーが根付いている。それだけに、ルールやマナーを押し付けなくても試合を含めたイベントとして成立する、というところはあるのだろう。有料で行われる日本のスポーツイベントで、同じような空間を作り出すのは難しい。
ただ、スポーツに地域振興や地域貢献を求めるのであれば、平成どころか昭和の時代の“仕切り”を残したままでは、ステレオタイプで自由度の少ないものにしか成り得ないのではないだろうか。マンリーでの僕がそうだったように、通りすがりの外国人がふらりと立ち寄れる気軽さは、スポーツが文化として根付いていくために必要な気がする。