球体とリズムBACK NUMBER
中田英寿の元同僚ラムシが明かした、
ヒデの素顔とザックジャパン攻略法。
text by
井川洋一Yoichi Igawa
photograph byYuki Suenaga
posted2019/05/12 17:00
中田と共に戦ったパルマ時代や日本と対戦したブラジルW杯のエピソードを語ってくれたサブリ・ラムシ氏。
世界最高峰の舞台で競演した2人。
──当時のセリエAは世界最高のリーグと評されていました。現在とは異なり、パルマにも世界的な選手が揃っていましたね。
「あの頃(1990年代から2000年代前半)はセリエAとパルマにとって素晴らしい時代だった。残念ながらタイトルはそのコッパ・イタリアだけだったが、少し前にはセリエAで2位になったこともある(ラムシと中田が在籍する前の1996-97シーズン)。敵にも味方にもワールドクラスの選手が多かったよ。ジネディーヌ・ジダンは言うに及ばず、トッティの存在は唯一無二。同僚ではリリアン・テュラムの強さとインテリジェンスにいつも舌を巻いていたね。それからキャプテンのファビオ・カンナバーロは最高のナイスガイだった。アドリアーノのパワーには圧倒されたよ」
──練習や試合以外では、中田選手とどんな風に接していたのですか?
「私たちはフットボール以外のトピックについても、たくさん話をした。それぞれの興味のあることや、人生、人間関係、日本やフランス、文化についてなどを。彼との会話は、とても面白かったよ。ヒデは自分に素直な性格で、やりたいこととやりたくないことをはっきりと示していたから、私としてはつきあいやすかったんだ。あれから、15年以上が経った今、彼に連絡をして日本に来て、再会することができた。フットボールを真剣にやってきてよかったと思える瞬間のひとつだね」
──昨日もゆっくり会話できましたか?
「ああ、もちろん。私たちは昨日、ヒデがプロモートする日本酒のイベントに行き、その後に夕食を共にした。11日間にわたる大きなイベントで、彼はそこで日本の文化や職人たちを紹介していると話してくれた。我々は昨日も、これまでと同じように、とても興味深い会話を交わしたよ」
ラムシが講じた「ドログバ投入」。
──あなたはブラジルW杯の前に、『Number』誌上で中田氏と対談されています。その後、日本との開幕戦ではコートジボワールが2-1の逆転勝利を収めました。あの試合の日本の印象を聞かせてください。
「まず、当時の日本代表はザッケローニ監督が実に見事な仕事をしていたと思う。日本人選手の特徴を生かした魅力的なスタイルを展開していた。本田圭佑や香川真司、長友佑都と、質の高い選手も揃っていた。率直に言って、今の日本代表よりも強かったと私は思う。ただあの試合に関して言えば、W杯開幕戦ということもあり、少し硬くなっていたような印象を受けた。
そして後半のディディエ・ドログバの投入が、流れを決定的に変えた。あれで日本の選手たちに動揺が走ったのは明らかだった。突出したスター選手の存在に日本の全選手の意識が向くようになり、それ以外の選手のマークが緩くなってスペースも生まれた。当時のコートジボワールには、ジェルビーニョやヤヤ・トゥーレ、サロモン・カルーら、高いクオリティーを備えた選手がほかにもいた。特にジェルビーニョはスペースを享受して躍動し始め、セルジュ・オーリエと共に右サイドを制していった。我々の2ゴールはどちらも右サイドから奪ったものだ」
──けれども、最終的にはコートジボワールも日本と同じくグループステージで敗退しました。
「ギリシャとの最終戦は、悲劇的な結末になってしまった。同点でも突破できたのに、後半ロスタイムのPKで逆転されてしまったんだ。ただ最後の一連のプレーは、ミスだったとも言える。1-1のまま終わらせられたはずなのに、追加点を取りに行って失敗し、逆襲を食らったのだ。不運かもしれないが、それもまたフットボールであり、人生だ」