炎の一筆入魂BACK NUMBER
カープ會澤翼の“漢気”と理想像。
打てて守れる、勝てる捕手として。
posted2019/04/27 11:30
text by
前原淳Jun Maehara
photograph by
Kyodo News
平成が終わりを告げようとしている。平成で黄金期を築いた球団には、そのチームを支えた名捕手がいた。西武には伊東勤、ヤクルトには古田敦也、ダイエーには城島健司、中日には谷繁元信、巨人には阿部慎之助……。
そして3連覇中の広島には、會澤翼がいる。
昨年まではベテラン石原慶幸とともに投手陣を支えてきた。今年は開幕から23試合消化時点で19試合でスタメンマスクを被る。自己最多106試合を上回るペースで独り立ちしようとしている。今年、真の正捕手となれるか、真価が問われる1年となるだろう。
時代は平成から令和へと移ろうとしているが、昭和63年生まれの會澤は平成を駆け抜けた。
「平成は苦しいときの方が多かったかな。プロ入っても、いろんなことを思い出しますよね。二軍時代、下積み時代を。高校時代もしんどかったですし」
前田健太への対抗心とケガとの戦い。
水戸短大附(現・水戸啓明)高時代は全国的な知名度はなく、甲子園出場もかなわなかった。広島での入団会見にボンタン短ラン姿にひげをたくわえて登壇したのも「目立ってなんぼ」の精神から。同期入団のドラフト1位・前田健太(ドジャース)らへの対抗心をのぞかせた。
プロ入り後はケガで行く手を阻まれることが何度もあった。
プロデビュー戦も初打席で頭部死球(2007年5月2日ウエスタン・リーグのサーパス戦、9回2死から近藤一樹の完全試合を阻止)。救急車で病院に運ばれた。
2年目の春季キャンプでは初の一軍合流を予定した前日に左肩を負傷。3月に手術を受け、リハビリに1年を要した。翌2009年に一軍初昇格しても、石原らの一軍捕手の壁に挑み、一軍二軍を行き来しながら力をつけた。打撃を生かすために外野で出場したこともあった。