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オランダと日本の滑りの技術の融合。
小平奈緒が大きく進化した「5カ月」。 

text by

矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byShunsuke Mizukami

posted2019/04/25 18:00

オランダと日本の滑りの技術の融合。小平奈緒が大きく進化した「5カ月」。<Number Web> photograph by Shunsuke Mizukami

発売中のNumber977号に掲載の小平奈緒選手、結城匡啓コーチの取材は信州大学の結城氏の研究室で行なわれた。

「怒った猫」という新フォーム。

 その頃に取り組んでいたのが、「BOZE KAT」だ。オランダ語で「怒った猫」を意味する、スケーティングのフォームである。

 '98年長野五輪などで3つの金メダルを手にしたマリアンヌ・ティメルコーチが、小平のフォームの難点を指摘したのは、'14年11月のW杯ソウル大会。当時の小平は重心の低いフォームを手に入れてはいたが、頭が下がり過ぎていた。

 ティメルは、頭を下げすぎず、肩も上げ、なおかつ重心を低く保つようにフォームを修正しようとした。そのときのたとえとして用いたのが「怒った猫になりなさい」というアドバイスだ。「怒った猫」は背中を丸めて相手を威嚇する。肩は少しつり上がっており、重心は低いが肩と頭は下がりすぎていない。

 小平はフォームの修正に取り組もうとしたがレースで体現するまでにはなかなか至れず、苦しんだ。乳製品のアレルギー症状が出て体調を崩したということもあり、オランダでの2年目はW杯で表彰台に上がることもできず、日本国内でも全日本スプリント選手権で負けるなど、成績は振るわなかった。

成績が出なくても、目は死なず。

 そもそも、一度身についているフォームの矯正は非常に難しいものだ。それに、オランダ流の理論やアプローチ方法には当然ながら良さがあるが、骨格も筋力も違う日本人にとってすべてがあてはまる訳ではない。

 傍目には、苦悩が多かったオランダでの2シーズン目。ともすれば目の前の成績に気持ちが沈みがちになりそうな時期ではあったが、小平の目から輝きが失われることはなかった。雌伏の時間をもがきながら、飽くなき探究心で多くのヒントを掴み取っていた。

 それらが開花したのが、2年ぶりに信州長野に拠点を戻してオフシーズンのトレーニングをこなした'16-'17シーズンだ。結城氏は「小平が大きくステップアップしたのには'16年4月から8月までの5カ月間の取り組みがあるのです」と強調する。

 こうして小平は、オランダで身につけたストレートの滑走技術などと、日本のスケート文化の中に根付いているコーナーの技術を融合させた滑りで結果を出していった。

【次ページ】 創造、ひらめきこそが勝利への道。

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