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オランダと日本の滑りの技術の融合。
小平奈緒が大きく進化した「5カ月」。

posted2019/04/25 18:00

 
オランダと日本の滑りの技術の融合。小平奈緒が大きく進化した「5カ月」。<Number Web> photograph by Shunsuke Mizukami

発売中のNumber977号に掲載の小平奈緒選手、結城匡啓コーチの取材は信州大学の結城氏の研究室で行なわれた。

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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Shunsuke Mizukami

 2018年平昌五輪で日本女子スピードスケート界に初の金メダルをもたらした小平奈緒(相澤病院)が、スケート王国オランダで2年間にわたって武者修行をし、「怒った猫」という愛称で親しまれていたのは、スケートファンには周知のことだと思う。

 オランダから日本に帰国した後の'16-'17シーズンから急激に成績を上げ、国内外のレースで無敗のまま平昌五輪を制したこともよく知られているだろう。

 今回のNumber977号『平成五輪秘録』特集で、小平が金メダルを獲得するまでの道のりをあらためて取材しながら、詳細な記事としてしっかり残しておくべきだと感じたことがある。小平が急成長を遂げたのは、オランダにいた2年間ではなく、オランダから日本に帰国した後だということだ。

 特に、生まれ育った信州長野を拠点として行なった'16年4月から8月までの5カ月間のトレーニングが急激な進化を遂げた時期なのである。

「小平流」は日本とオランダのミックス。

 平昌五輪の小平に関する報道で見られた「オランダに行ったから強くなった」というのは、平昌五輪前の2年間に日本で行なった事柄がはしょられた表現であり、小平が'05年に信州大学に入学したときから指導する結城匡啓氏は、今回の取材でも「それを残念に思っている」と語っていた。小平にも、結城氏にも、日本のスケート界の総合力に対する誇りがあるのだ。

 小平がぶっちぎりで金メダルを取るほど強くなったのはなぜなのか。つまりそれは、オランダで得たヒントを日本に持ち帰ってトレーニングに落とし込み、従来から持っていた日本の技術と掛け合わせた「小平流」の滑りを会得したからなのである。

 '14年ソチ五輪500m5位でメダルに届かなかった小平が、オランダに練習拠点を移したのは'14年5月のことだった。

 最終的にはここから'16年春までの約2年間をオランダ拠点で過ごすことになるのだが、実は当初の滞在予定期間は'14年春からの半年間だけ。オランダのプロチームに加わって、まずは半年間、オフシーズンのトレーニングを共に行い、それが終わったタイミングで後のことを決める算段だったという。

【次ページ】 武者修行を半年間延長。

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