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オランダと日本の滑りの技術の融合。
小平奈緒が大きく進化した「5カ月」。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byShunsuke Mizukami
posted2019/04/25 18:00
発売中のNumber977号に掲載の小平奈緒選手、結城匡啓コーチの取材は信州大学の結城氏の研究室で行なわれた。
武者修行を半年間延長。
だが、実際にオランダに行ってみると言葉の壁などもあり、シーズンオフの半年間では十分ではなかった。また、オランダをベースにしてレースを転戦してみないと、オランダ人選手の強さの根幹のところまでは分からないのではないかと考え、武者修行を半年間延長した。
こうしてオランダを拠点に次のシーズン開幕を迎えた小平は、'14年11月のW杯ソウル大会で28歳にしてW杯初優勝。
そのシーズンのW杯の優勝は1度だけだったが、総合ポイントでトップになり、'90-'91シーズンの島崎京子以来、日本女子としては24年ぶり2人目のW杯総合優勝を飾った。これが、「小平はオランダに行って強くなった」という印象を持たれる最初の出来事だった。
「オランダの奥義」を求めて2年目へ。
ところが、冷静にレース内容を振り返ったときに、総合優勝という結果を額面通りには受け取れない小平がいた。W杯勝利は1度のみ、しかも'13年11月のW杯ソルトレークシティー大会で出した37秒29の自己ベスト(当時。現在は36秒47)を塗り替えることができていなかったからだ。
実際、'14-15シーズンを終えた頃、小平は報道陣に「オランダに行って自分が変化したと思う8割はメンタルです」と語り、スケート技術やフィジカルの変化はさほどでないと明かしていた。
結城氏に対しては、このように吐露していた。
「結城先生、総合優勝はしましたが、本当に成績は伸びたんでしょうか。周りは総合優勝を評価してくれていますが、私はそんなはずはないと思うんです」
1年ではオランダの奥義までたどりつけなかった。そう考えてオランダでの2年目を過ごすことになった小平は、語学の理解が進んだことにもより、さらに多くの気づきを発見した。