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清原和博と野茂英雄。力と力、
平成屈指の名勝負を振りかえる。
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph byMakoto Kenmisaki
posted2019/04/21 12:00
多くの投手にとって清原和博が特別だったように、清原にとっての野茂英雄もまた特別な投手だった。
野茂のプロ初登板が、2人の初対決。
清原対野茂――。
その初対決が実現したのは、野茂にとってのプロ初登板の試合だった。
1990年4月10日、藤井寺球場。
立ち上がりからコントロールに苦しんだ野茂は初回、フォアボール、エラー、フォアボールでノーアウト満塁のピンチを背負い、4番の清原を迎える。2ストライク1ボールと追い込んでからの4球目、腕を振って投げ下ろした渾身のインハイへのストレートは、力みのせいか、あるいは調子のせいか、140キロに届かなかった。しかしそのボールを打ちにいった清原のバットが空を切る――三振。プロ初登板で、プロで初めての三振を、野茂は清原から奪ったのだ。試合後、清原は言った。
「速かったよ。あのフォーム、どこからボールが出てくるのか、わからへんかった。でもきょうは(契約金の1億2000万円のうちの)7000万円の野茂やったね。あと5000万円分の力を出したら、けっこう抑えられるで……あれはいいピッチャーや」
清原の言葉通り、その後、プロ1年目の野茂はトルネード旋風を巻き起こす。4月の終わりに挙げたプロ初勝利には、プロ野球タイ記録の17奪三振で花を添えた。あまりの奪三振ラッシュから“ドクターK”と称された野茂は、ルーキーながら新人王はもちろん、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率と、先発ピッチャーが獲れるタイトルを独占し、ベストナイン、沢村賞、MVPまで獲得した。高校時代は眼中になかった一つ下のピッチャーは、あっという間に清原の最大のライバルとなった。
151打席ホームランゼロという極度のスランプ。
そして迎えた、1991年。
1億円プレイヤーとなって、ホームラン50本を公言、6年目に懸けた清原は、4月6日の開幕戦でいきなりロッテの小宮山悟、平沼定晴から2本のホームランを放つ。
プロ6年目を迎えた清原の開幕は鮮烈だった。異常な不安とプレッシャーに襲われた中で2年連続で“開幕戦の第1打席にホームラン”、さらには史上初となる“2年連続の開幕戦での2本のホームラン”を打ったのだ。西武球場には華々しく花火が打ち上げられ、清原のこの上ないスタートを彩った。
一方、プロ2年目の野茂は4月7日、藤井寺球場のマウンドに上がった。開幕投手を阿波野秀幸に譲っての2試合目の登板が、野茂の開幕だった。しかしこの日、野茂は先頭の日本ハム、田中幸雄にいきなりホームランを浴びてしまう。結局、11個の三振を奪ったものの、野茂は敗戦投手となる。野茂は2年目も黒星スタートとなってしまった。
しかし、である。
その後、清原のほうがかつてないスランプに陥ることになるのだから、野球はわからない。開幕から4月16日までの7試合で6本のホームランを記録して、絶好調だった清原のバットから、ピタリと快音が消えた。4月はもちろん、5月を終えてもホームランが1本も増えない。151打席、ホームランゼロ。なぜ打てないのか、理由がわかれば対処のしようもあるのだが、このときの清原にはその理由がわからなかった。
「いろんなことを考えすぎていました。打席での立ち位置を変えてみたり、フォームをいじったり、(打てない)理由を必死で探してしまっていたんです。あのときは戦う相手を間違えていましたね。相手ピッチャーじゃなくて、自分自身と戦ってしまっていたのかもしれません」