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清原和博と野茂英雄。力と力、
平成屈指の名勝負を振りかえる。
posted2019/04/21 12:00
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph by
Makoto Kenmisaki
プロ入り6年目、年俸が1億円を超え、球界を代表する強打者となった清原和博の前に立ちはだかったのは、トルネード投法から繰り出される剛球と切れ味バツグンのフォークで前年のパ・リーグ投手タイトルを独占した、あの寡黙な右腕だった――。
ホームランを50本――。
その数字を口に出して目標に掲げたということはつまり、今年こそホームラン王のタイトルを獲るという彼の覚悟でもあった。
1991年、清原和博はプロ6年目を迎えていた。
過去5年、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞に選ばれ、最高出塁率と最多勝利打点のタイトルも獲った。オールスターでは全パの4番に座り、日本シリーズには4度出場、4度とも日本一に輝いている。西武の押しも押されもせぬ4番打者として、5年間で放ったホームランは163本。1986年、高卒ルーキーとして31本のホームランを放って以来、清原はほぼ毎年、30本をクリアし、1990年のオフ、史上最年少の23歳で1億円プレイヤーとなった。秋山幸二、石毛宏典、渡辺久信ら、チームの主役を張る年上の選手たちをごぼう抜きしての年俸アップは、球団の“ミスター・プロ野球”清原への期待の表れに他ならなかった。
しかし、清原は満たされてはいなかった。
なぜならこれまでにホームラン、打率、打点のバッティングタイトルを一つも獲れていなかったからだ。とくにホームラン王のタイトルは、清原が入団以来、パ・リーグでは落合博満(50本)、秋山幸二(43本)、門田博光(44本)、ラルフ・ブライアント(49本)、オレステス・デストラーデ(42本)が獲得。30本をクリアしているとはいえ、一度も40本に届いたことのない清原がホームラン王のタイトルを獲るためには、50本を宣言するくらいの覚悟が必要だったのである。清原はこう言っていた。
「もちろん、ホームラン王のタイトルは欲しいんですけど、まず自分の考えるバッティングができて初めてタイトルを狙えると思ってきました。ヤマ張りでレフトに打ったり右中間に打ったりするんじゃなくて、自然に打って、ホームランが左へ右へ散らばるのが理想なんです。何も考えないで、狙ってない球にもポンっとバットを出して、無理せずに打ったらホームラン……これが僕の理想です」
山田久志「やりにくくてしょうがない」
PL学園で、エースの桑田真澄とともに夏の甲子園を2度も制覇した清原。PLの4番として、清原は甲子園で史上最多の13本ものホームランを放っている。2位が桑田と、元木大介(上宮)の6本なのだから、いかに突出した数字であるかがわかる。18歳でプロの世界へ飛び込み、1年目にいきなり31本のホームランを放った。身体が大きく、飛ばす才能に恵まれ、スター性も抜群だ。時折、浮かべる笑顔は無邪気で、発する言葉はやんちゃそのもの。それでいて年上の一流選手たちへの敬意を欠かさない。そんな清原に対して、プロで十何年もメシを食ってきたベテランたちがムキになって清原に挑みかかる。たとえば阪急の山田久志、あるいはロッテの村田兆治。山田はこう言っていた。
「もう、やりにくくてしょうがないんです。できることならベンチにいて欲しい。僕ら、17、18年やってきた選手が、18の子に打たれるわけにはいかんのですよ。いや、僕のシンカーを投げておけば、打たれないと思います。打たれっこないという気持ち、あります。ただ僕はシンカーは使いたくない。あのくらいのバッターといったらおかしいですけど、彼のことはまっすぐで抑えたいという気持ちがどっかにあるわけですよ。高校出て何カ月のバッターに、プロで何年もやってきたピッチャーがカンカン打たれよったら、そりゃ、考えんとイカンですよね」