草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
「あなたはサイン盗みをしていましたか?」
プロ野球関係者30人への衝撃アンケート。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2019/04/10 17:30
3月28日に行われたセンバツ大会の2回戦。1-3で敗れた星稜・林和成監督が試合後、習志野の控え室を訪れ、抗議した。
転機は横浜vs.PL、サヨナラボークでも悲劇。
「監督や部長からは『おまえたちはそんな野球をやるな』って教えられていました。でも選手たちでやりました。それを監督が知っていたかどうかはわかりませんが。理由は勝ちたかったから。そこに尽きますね」(20代、出場有)
「もちろんやっていました。勝ちたいですから」(20代、東北地方、出場無、優勝無)
この証言の重要性は、必ずしも指導者からの「命令」ではないという点にある。
伝達行為のターニングポイントは1998年だ。この年の甲子園では、松坂大輔擁する横浜とPL学園が激突。三塁ベースコーチの平石洋介(楽天監督)が捕手の構えから球種を予測し、いわゆる「声かけ」で打者に伝えたとされる(PL学園はバッテリー攪乱が目的だったと否定)。
また、史上唯一の「サヨナラボーク」で決着した試合では、二塁走者がいるときには2度サインを出す事前の約束事を、猛暑と疲労で投手が忘れた。2度目のサインが出たときに思わずモーションを止めてしまったために起きた悲劇である。なお、その瞬間、二塁走者が打者に伝達する動きがはっきりと映っている。つまり、当時は野放しだったために高野連は翌'99年に禁止を通達。
ところがここまでの証言者はいずれもそれ以降の球児である。高野連の通達はまったく効果を発揮していないどころか、むしろ巧妙化に拍車をかけた逆効果の可能性すらある。
50代「真っ直ぐとカーブしかなかったから」
「やってはいたけどサインを盗んでいたのか、捕手の構えを伝えていただけなのか……。いずれにせよ自分たちのころは球種なんて真っ直ぐとカーブしかなかったから」(50代、関東地方、出場有、優勝有)
「今のような複雑なものじゃないけど、あったね」(60代、関東地方、出場無、優勝無)
年代が上がると現在よりはるかに牧歌的ではあったようだ。はっきりと認めたのはここまで。