フランス・フットボール通信BACK NUMBER
世界中を旅したさすらいのドイツ人GK。
その波乱万丈の蹴球人生を追う。
text by
フランク・シモンFrank Simon
photograph byBernard Papon/L'Equipe
posted2019/04/03 15:00
今もプファーネンシュティールは世界を旅している……それは、クラブチームのスカウトとして、そして環境問題を守るためである。
自分の銀行口座をクラブの脱税に利用され。
キエフでクラブを探す間に「オレンジ革命(ウクライナ大統領選挙の結果に対し民衆が猛抗議をおこない、再選挙を実現して当初は落選したビクトル・ユシュチェンコが逆転勝利を収めて第3代大統領に就任した出来事)」が起こり、アルバニア経由でアルメニアの首都エレバンに落ち着いたのだが、そこでもまた数奇な運命が彼を待ち受けていたのだった。
クラブは彼の名義でひとつの口座を銀行に開設した。ところがその口座には、クラブで働くすべての人間――チームのストライカーから清掃作業員までの給料が月末に振り込まれていた。苦しい財政のなか、税金を逃れるためにクラブがとった苦肉の策であった。
憧れたのはサッカー王国ブラジル!
彼の代理人を務めるヨアキム・オルセンは、2008年の時点でFIFAが統括する6つの大陸連盟のすべてでプレーした選手はいまだいないことをプファーネンシュティールに伝えた。
すでに35歳に達していたプファーネンシュティールが唯一足を踏み入れていないのは南米大陸のみとなっていた。
彼が目指したのは、少年時代のヒーローだったユーゴスラビア代表GKラトコ・スリバルが素晴らしいパフォーマンスを演じた相手――サッカー王国のブラジルであった。
リオデジャネイロに到着したプファーネンシュティールは、数多くのテストを受けた末にアメリカFCとの契約にこぎつけた。ところが財政がひっ迫したアメリカは、給料の支払いが難しく契約は白紙に戻ってしまった。さらに紆余曲折の末に、ようやく見つけたのが南部のサンタ・カタリナ州に本拠を置くアトレチコ・エルマン・エシンゲルであった。
“ドイツ・インディアン(長髪に由来する彼の愛称)”が南米大陸のピッチに立つ日がついにやってきた。6つの大陸のすべてでプレーするという彼の野望が実現したばかりか、ボタフォゴとのカップ戦ではマラカナでのプレーも実現したのだった。