スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
イチローと言葉の精度。
卓越した野球的想像力を支えたもの。
posted2019/03/29 11:45
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph by
Naoya Sanuki
イチローが現役を引退した。少し前から、受け入れようという覚悟はしていたが、いざ現実になると、身体と心に響く。この齢になって、人を失うことには馴れていたつもりなのに、やはり特殊な感情が胸をよぎる。面識さえない人にこんな思いを抱くことは、そうそうあるものではない。
クリント・イーストウッドや吉増剛造。
彼らを見るように、私はイチローを見てきた。88歳の前者は映画を生き、80歳の後者は詩を生きてきた。どちらも、たゆまず歩みつづけ、とてつもなく遠いところまで行った人たちだ。勤勉を超えた継続力。謙虚さだけでは得られない学習能力。職人技にとどまらぬ頭脳と感性の錬磨。禁欲や努力や忍耐をしのぐ快楽原則。そこに「エレガンス」や「マジック」という要素を加えると、彼ら3人に共通する特性が浮かび上がってくる。まさしく並外れた「個」というべきだろう。
ただ、優雅とか魔法とかいった言葉の陰には、とんでもない狂気が潜んでいる。イチローは、美しい外野手だった。同時に彼はクレイジーな側面を一貫して手離さなかった。それも、感性を野放しにするだけの狂気ではなく、技術や思考の精度を可能な限り高めた末に直面する、ほとんど理不尽な世界へのダイヴ。持ってまわった言い方で、私自身も歯がゆいが、イチローはそんな世界をずっと視野に収め、その領域に接触しつづけていたような気がする。
ステロイド時代に登場したイチロー。
引退記者会見で述べられた「野球というのは頭を使わなきゃできない競技なんですよ」という発言も、ここにつながってくる。
たとえば、イチローが大リーグでプレーをはじめた2001年は、ステロイドの全盛時代だった。バリー・ボンズが73本の単年最多本塁打記録を達成したのもあの年だし、少し前の1998年には、マーク・マグワイアとサミー・ソーサの本塁打競争があった。結果的には前者が70本で、後者が66本。どれも凄い数字だが、ステロイドの後押しがあったことが判明してからは、潮が引くように熱狂も冷めていった。ただし、イチローのデビュー時は、まだパワーボールが信奉されていた。