スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
イチローと言葉の精度。
卓越した野球的想像力を支えたもの。
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byNaoya Sanuki
posted2019/03/29 11:45
イチローの現役引退会見は、1人の選手の引退以上のインパクトを野球界にもたらすだろう。
カラフルな感性、緻密な頭脳。
そんな時期に、イチローはまるで逆張りを楽しむかのように、コンタクト・ヒッターとしての「個」を確立させていった。長打力を秘めたヒットマシーンという部分を表に出すこともできたはずなのに、彼はあえて反時代的な道を選び、単打を主体とする安打の山を築き上げていった。それはたぶん、この選択が、イチローにとって野球の喜びを最大限に引き出す方法だったからだ。
1年目、イチローは首位打者と盗塁王を獲得した。リーグ最多の242安打。MVPと新人王に輝いたのは当然の結果だ。私は昂奮した。ベーブ・ルース以前のベースボールを現代に蘇らせる打者が久々に登場した、と思った。ウィリー・キーラーやタイ・カッブ、ハリー・フーパーといった選手の名前も頭に明滅した。もちろんイチローの少し前には、ウェイド・ボッグスやトニー・グウィンという高性能の安打製造機がいた。イチローより10歳ほど年上のエリック・デイヴィスやダリル・ストロベリーなども、素質と美しさにかけてはイチローに引けを取らぬ外野手だった。
ただ、イチローには、彼らが持っていなかったものが備わっていた。
ひいきの引き倒しになるのは嫌なので、できるだけ控え目にいうが、ボッグスやグウィンには、イチロー特有のエレガンスと色気があまり感じられなかった。高い身体能力を誇ったデイヴィスやストロベリーには、イチローが追求した職業倫理と忍耐心が不足していた。別の言葉でいうと、イチローの感性はふたりの「大打者」よりもカラフルで、イチローの頭脳はふたりの「美しい天才」よりも緻密だった。
「頭を使わなくてもできる野球」とは。
ここで、急いで付け加えたい。イチローが戦った相手は、「パワー信奉」の野球だけではなかった。「頭を使わなくてもできる野球になりつつある」と彼が苦言を呈した先には、ハイテクノロジー偏重の、極端にいえばAIに戦術的判断を委ねかねない大リーグの現状が横たわっている。
たとえば、極端な守備シフトの問題がある。ボールを投げない敬遠の四球も認められた。マウンドを本塁から遠ざけようとか、マウンドの高さを削ろうとかいった論議もかまびすしい。なかでも首をかしげたいのは、《投手は最低限3人の打者に投げなければならない。もしくはそのイニングの終わりまで投げなければならない》という珍妙なルールの制定だ。
これはどうだろうか。