スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
イチローと言葉の精度。
卓越した野球的想像力を支えたもの。
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byNaoya Sanuki
posted2019/03/29 11:45
イチローの現役引退会見は、1人の選手の引退以上のインパクトを野球界にもたらすだろう。
野球の貴重な面白さを損なう。
もし救援投手の出来が極端に悪く、四球+死球+本塁打という惨事を招いても、ベンチはそれまでの間、指をくわえて見ていなければならないのか。そんな野球が面白いとは、私には思えない。ルール変更は、戦略や戦術に関わらない部分でのみ、行われるべきだと思う。そうでなければ、あれだけの肉体を持った人々が、あれほどの知恵を尽くして戦う貴重な面白さが滅びてしまう。
イチローが「本当は、野球というのは頭を使わなきゃできない競技なんですよ」と危惧するのは、このあたりの事情を指しているのではないか。
ノブリス・オブリージュを期待したくなる。
2018年5月、ユニフォームを着たままでマリナーズの会長付き特別補佐の仕事に就いたとき、イチローは「野球の研究者でいたい」と明言した。
その言葉はいまも生きていると思う。彼の野球的頭脳を高く評価するマリナーズがなんらかの職を用意するのは当然として、今後のイチローはたぶん、「言葉の精度」をいま以上に高めていくのではないだろうか。
そのなかには、日本語の精度以外に「外国語の精度」というテーマも含まれてくるかもしれない。後天的に学習した外国語に限界があり、壁がつぎつぎと立ちはだかることは承知の上でいうが、イチローほど野球の現場を知り抜き、なおかつ野球的想像力や野球的感受性を備えた人物は、めったに見当たらない。アメリカの野球界は、そんな人物を放っておかないはずだ。
ひとまずゆっくりしてください、といいたいところだが、世間にはノブリス・オブリージュ(高貴な者の責務)という言葉もある。あの美学と、あのちょっとクレイジーな知性と、あのユーモア感覚を失わないかぎり、イチローはまだまだわれわれを楽しませ、われわれにさまざまな発見と覚醒をもたらしてくれるにちがいない。