マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
沖縄の先生に聞いた、野球と戦争。
「沖縄を単なるリゾートとしか……」
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2019/02/26 08:00
他の地域で野球に関わる人間にとって、沖縄は「キャンプに行く場所」かもしれないが……。
戦争の記憶は、沖縄でも薄れつつある。
「もっと驚くのは、逆に沖縄の高校生たちで、激戦地だったサイパンやグアムをただの観光リゾートだと思っている人が相当いるんです。自分のおじいとかおばあが直接砲弾や銃弾を浴びたはずの沖縄ですら、きちんと語り継いでいく活動をしないと……家庭とか地域に、戦争を語り継いでいく“力”がなくなってるんですね」
そうおっしゃる先生自身に戦争体験はない。
しかし「県民性」として、沖縄の人間には、老若男女の区別なく意識せざるをえないのが「戦争体験」ではないか。先生はそんなこともおっしゃっていた。
「沖縄に来る修学旅行の生徒さんたちで、戦跡を訪れない人はいません。ただ、沖縄の人間として、こうしたらいいのになぁって思うことがあるんですよ」
合宿の「最初」に戦跡へ向かう。
“お願い”のような意味もあるんですが……。先生はそんなふうに前置きすると次のように続けた。
「こっちに着いてから、すぐ戦跡に行かれる人が多くないですかね……? 戦跡の多くが、空港のある那覇に近い南部にあるからかもしれないんですけど、最初に慰霊をして、それから1週間とか10日とか合宿っていうと、帰る頃には慰霊の記憶の上に野球の記憶がたくさん重なってしまって、せっかく慰霊や墓参をしてくれても、そこで得た“実感”を忘れて帰ることになってしまうような……そんな気がしてるんですよ」
後か、先か。先生が話しているのは、決して単純なことではないと思った。
「沖縄もたくさんの高校球児……当時は“中学球児”だったんですが、たくさんの球児たちが『防衛隊』として沖縄攻防戦の戦列に加わって命を落としています。
今は沖縄に野球をしにやって来るんでしょうから、野球のほうが大事。本土の人はそう考えるんでしょうけれど、野球と同等かそれ以上に、過去の歴史を学ぶことも大切なんだって、そういう感覚も大切にしてほしいって思うんですね。だからできれば、帰る直前に戦跡に足を運んで、いろんな感慨を心に刻みつけて帰ってもらえたら。こっちの人は、そういうことあまり口に出しませんけど、そう考えてる人もいると思います」