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<さらに強まった欲望>大迫勇也「カタールでも絶対的であるために」
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byTakuya Sugiyama
posted2018/08/13 12:00
楽しさと悔しさ。4年前とは異なる感覚も味わえた。
だが、長いサッカー人生の本番はこれからだ。
新天地への移籍を控える今、未来への想いを語った。
ベルギーとの熱戦からおよそ3週間半。7月26日、大迫勇也は日本でのオフを終えて、ドイツへと戻っていった。
また、新たな4年間が始まる。
4年前のブラジルW杯が終わったあと、大迫はこんな風に語っていた。
「もっと出来たと思うし、自分を出せずに終わった感がすごくある。悔しさしか残らなかったね。ここからレベルアップするしかないでしょ!」
そんな悔しさが口を突いて出てからの4年間は、実りある時間だった。だからこそ、ロシアW杯では、4年前とは異なる感覚をつかんだ。
「W杯は、世界中の人たちが、サッカーにくぎ付けになる期間でもあるから。その場に立てる幸せを感じましたね。そして、初戦に勝ったことで、初めてW杯が楽しかったと思えたからね」
もちろん、個人的なパフォーマンスについても、4年前とは違い、確かな手応えがあった。
「ゴールは1試合目しかとれなかったですけど、得点以外の部分では手応えというか、次につながるようなプレーはすごく出来たんじゃないかな。安定したプレーを出せたことが一番の成長だと思う」
下馬評の低いなかで臨んだロシアW杯で、日本代表が初のベスト8進出へあと一歩のところまで進めたのには、明確な理由があると大迫は考えている。
「やっぱり、多くの選手が海外でのプレーを経験しているから。それが活きたんだと思います」
大会開幕のおよそ2カ月前に就任した西野朗監督は革命を起こしたわけではない。彼の最大の功績は、選手たちが持っている力を最大限に引き出せるようなメンバー選考と選手起用をしたことにある。
個々の選手が所属クラブで経験してきたことが結果となって表れた。それは大迫だけの意見ではなく、多くの選手が指摘していることでもある。
「代表で求められていることをやるのは大切。でも、どうして自分が代表に呼ばれるのかと考えたら、それはケルンでのプレーがあるから」
大迫はことあるごとにそのように語り、所属クラブで成長を続けることにフォーカスしてきた。
その成果はもちろん、大会中のひとつひとつのプレーに表れた。前線で相手からプレッシャーを受けながらもボールを収める姿が多く見られた。コロンビア戦では、香川真司からのパスが出た直後に、ダビンソン・サンチェスに身体をあてて、前に出てシュートまで持っていき、先制のPK獲得のきっかけを作った。
ただ、それ以上に、4年間の成果が確かに表れていたのは、W杯という大舞台でのしかかる特有のプレッシャーとの向き合い方だ。
「W杯では、独特の緊張感もあるし、上手くいかないことばかりだから。ボールを奪われることもあるし、相手に押し込まれる時間帯もある。4年前は、そういうときに『ヤバイ』と思ってしまっていた自分がいたから。
でも、今回は『まぁ、こんなもんだろう』という感覚でプレーを続けられるようになった。それが一番大きいかな」
大迫はJリーグのレベルが低いなどとは考えていない。しかし、海外に出て、苦労することが選手を成長させてくれると確信している。
「やっぱり、言葉も違うし、サッカーも違うし、食べ物も違うし。それまでとは全てが違う。そのなかで、自分が対応していかないといけない難しさがある。やっぱり、良いことばかりではないからね」
ブラジルW杯後、ケルンへ移籍した直後に初ゴールを決めた際には、日本代表の愛称である「SAMURAI BLUE」とケルンのチームカラーである赤をかけて、「赤いサムライ」と絶賛された。
しかし、ゴールから遠ざかると、ホームのサポーターからブーイングを受けることもあった。地元紙のインタビューで日本の桜について答えたら、「オオサコはホームシックにかかっている」と報じられたこともある。そんな報道が日本にも伝わり、友人や知人から心配する声が届くと「家族も一緒に住んでいるし、ホームシックなんてないから。それはちゃんと書いておいてください」と漏らしたこともあった。
でも、今ならこんな風に一笑に付すことが出来る。
「活躍できなかったら、叩かれる。それだけでしょう」
そんな大迫は新シーズンから、戦いの場をブレーメンへと移すことになった。移籍の決め手となったのは、35歳のフロリアン・コーフェルト監督の熱意と自身への高い評価だった。
昨シーズンが終わった直後、大迫が住んでいたデュッセルドルフまで、コーフェルト監督がやってきた。そこで、1時間以上にわたって熱弁を振るわれた。
「俺たちは攻撃的なサッカーを目指している。昨シーズン採用した4-3-3も含めて、チームとしては3パターンの戦い方のプランがある。ただ、どのプランを採用したとしても、オオサコが活きるようなサッカーをしたいんだ」
ブレーメンがケルンに用意した移籍金は非公開だが推定約7億円前後と見られる。これは今シーズンのブレーメンが支払う最高額だ(7月26日時点)。大迫を新シーズンの目玉選手として考えているのだ。
もっとも、大迫は監督の言葉に耳を傾けるだけではなく、このように念を押した。
「僕はサイドの選手ではないから、サイドで使われるのは絶対に嫌です。中央のポジションでプレーしたいです」
ドイツに渡ってからの大迫は、生粋のセンターフォワードタイプの選手とコンビを組むことが多かったし、センターフォワードの選手が快適にプレーできるように、サイドで起用されることも少なくはなかった。
でも、これからは、日本代表と同じように、所属クラブでも絶対的な存在にならないといけないと考えている。
もちろん、そんな大迫の考えをしっかりと理解したうえで獲得すると、監督は改めて口にしたという。
思えば、ブラジルW杯の半年前、移籍に反対する声もあるなかで、鹿島アントラーズからドイツ2部の1860ミュンヘンへ移籍を決めたのには、明確な理由があった。
それは、ブラジルW杯に出場することではなかった。
サッカー選手として成長できるかどうか。
しっかりと成長を続けていければ、ブラジルW杯の4年後のロシアW杯や、その先のカタールW杯で絶対的な存在になれると考えた上での決断だった。
2部の1860ミュンヘンから、ケルンを経て、ブレーメンへ。サッカー選手としての長いキャリアを考えて、少しずつ階段を登ってきた。だから、ロシアW杯は大迫にとってはゴールではなく、成長していく過程にある通過点なのだ。
実は、4年前のブラジルW杯が終わってから、日本代表の試合に臨む際に、大迫には新たなルーティーンが生まれていた。
耳から自らを奮い立たせる作業だ。
所属チームでは、「チームメイトが大音量で音楽を流しているから」という理由で、特別に自分で曲を選んで試合前に聴くようなことはない。
そもそも、大迫のスマートフォンにはそれほど多くの曲がダウンロードされているわけでもない。
ただ、ブラジルW杯が終わってから、日本代表の試合のときだけは、いつも決まった曲を聴くようにしていた。
ウカスカジーの「勝利の笑みを 君と」である。
日本サッカー協会公認の日本代表応援ソングで、ブラジルW杯の直前にリリースされた曲だ。
「4年前によく流れていたから。あんな想いをしたくないし、“あの”悔しさを思い出すために聴くようにしたんです」
4年前の悔しさは、今大会の戦いの中で、確かに払いのけた。
でも、W杯で勝つ楽しさを味わえたから、ベルギーに敗れた後に、また違った悔しさを覚えた。
「今回のW杯では良い試合もあったし、自分が点を獲って勝てた試合もあった。良い経験も、悔しい想いも、どっちも味わった大会だった。だから、W杯で結果を出したいという欲が、さらに強くなりました。この経験は、4年後に活きると思う」
そこまで話すと、大迫は力をこめて、こう語った。
「ここからまた、頑張れますね」
大迫は、これからも代表の試合の前にはあの曲を聴くつもりでいる。自分を奮い立たせるために。
大迫勇也Yuya Osako
1990年5月18日、鹿児島県生まれ。'09年に鹿児島城西高から鹿島に加入し、数多くのタイトル獲得に貢献した。'14年1月にドイツ2部の1860ミュンヘンへ移籍。ブラジルW杯にも出場した。同年6月にケルンへ移籍し、今季からはブレーメンに加入する。182cm、71kg。