Sports Graphic Number SpecialBACK NUMBER

<連続インタビュー>
木佐貫洋&土居龍太郎&新垣渚「そして野球と人生は続く」 

text by

日比野恭三

日比野恭三Kyozo Hibino

PROFILE

photograph byTadashi Shirasawa

posted2017/05/01 08:00

<連続インタビュー>木佐貫洋&土居龍太郎&新垣渚「そして野球と人生は続く」<Number Web> photograph by Tadashi Shirasawa

少年に腕の振り方を教える新垣。

昭和55年度生まれの彼らは、今年で37歳を迎える。現役選手19人に対し、第二の人生を歩むのは74人。大学から自由獲得枠でプロ入りした3人の男たちは、新たな環境の中で、野球人生をいかに振り返るか。

 川内高校のエースだった木佐貫洋は甲子園に行けなかった。3年夏の鹿児島県大会決勝で、杉内俊哉を擁する鹿児島実業に惜敗。だから、その鹿実に完勝し春夏連覇をも達成した横浜高校の松坂大輔は、とてつもなく遠い存在だった。

 亜細亜大学に進学すると、同期に小山良男がいた。横浜で松坂の球を受けてきたキャッチャーだ。木佐貫は衝動に駆られた。

「彼に受けてもらってる時に『松坂と比べてどう?』って聞きたかったんです。でも、それもおこがましいなって」

 亜大時代の木佐貫は肩肘の故障を繰り返し、3年のシーズンを終えた時点で2勝しかできずにいた。学生野球雑誌や春秋のリーグ開幕前に出る『神宮球場ガイドブック』ではスター選手たちの特集記事が組まれていたが、木佐貫はずっと読者の側だった。

「そのころには『松坂世代』という言葉がもうありました。若くして活躍している人たちのトップブランドなんだろうなという感覚で見てましたね。自分も早くそう呼ばれるようになりたいと思っていました」

 故障の間に地道に体力強化に励んだことが実を結び、4年生になるとめざましい成績を残し始める。最終学年でいっきに10勝を積み上げ、6月には日米大学野球のオールジャパンメンバーに選出された。本人いわく「ぽっと出」ながら、松坂世代の一員になれたと感じられたのはこのころだ。

 そこで意気投合したのが早稲田大学から参加していた和田毅だった。バスの座席で隣り合い打ち解けた2人は、ともにプロ入りした後も連絡を取り合う仲になった。

 木佐貫が巨人に、和田がダイエーに入団した1年目の後半、深夜に1時間を超す長電話をしたことがある。ルーキーの苦しむ時期を木佐貫は一足早く脱し、まだ苦悩の中にいた和田が助言を求めた。当時の対談記事によれば「もろに野球の話だけ」(木佐貫)の「かなり濃かった」(和田)一本の電話。それから約1カ月、シーズンを乗り切った2人はセ・パの新人王に輝いた。

この記事は雑誌『Number』の掲載記事です。
ウェブ有料会員になると続きをお読みいただけます。

木佐貫洋
土居龍太郎
新垣渚

プロ野球の前後のコラム

ページトップ