Sports Graphic Number SpecialBACK NUMBER
<連続インタビュー>
木佐貫洋&土居龍太郎&新垣渚「そして野球と人生は続く」
text by

日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byTadashi Shirasawa
posted2017/05/01 08:00

少年に腕の振り方を教える新垣。
川内高校のエースだった木佐貫洋は甲子園に行けなかった。3年夏の鹿児島県大会決勝で、杉内俊哉を擁する鹿児島実業に惜敗。だから、その鹿実に完勝し春夏連覇をも達成した横浜高校の松坂大輔は、とてつもなく遠い存在だった。
亜細亜大学に進学すると、同期に小山良男がいた。横浜で松坂の球を受けてきたキャッチャーだ。木佐貫は衝動に駆られた。
「彼に受けてもらってる時に『松坂と比べてどう?』って聞きたかったんです。でも、それもおこがましいなって」
亜大時代の木佐貫は肩肘の故障を繰り返し、3年のシーズンを終えた時点で2勝しかできずにいた。学生野球雑誌や春秋のリーグ開幕前に出る『神宮球場ガイドブック』ではスター選手たちの特集記事が組まれていたが、木佐貫はずっと読者の側だった。
「そのころには『松坂世代』という言葉がもうありました。若くして活躍している人たちのトップブランドなんだろうなという感覚で見てましたね。自分も早くそう呼ばれるようになりたいと思っていました」
故障の間に地道に体力強化に励んだことが実を結び、4年生になるとめざましい成績を残し始める。最終学年でいっきに10勝を積み上げ、6月には日米大学野球のオールジャパンメンバーに選出された。本人いわく「ぽっと出」ながら、松坂世代の一員になれたと感じられたのはこのころだ。
こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
ウェブ有料会員になると続きをお読みいただけます。
残り: 4112文字
ウェブ有料会員(月額330円[税込])は、この記事だけでなく
NumberWeb内のすべての有料記事をお読みいただけます。