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<屈辱からの4年間>
日本男子柔道再生論。
text by

雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byAFLO
posted2016/08/05 08:00

シドニー五輪100kg級で金メダルを獲得した井上監督は、リネールが初めて世界王者になった2007年の世界選手権で対戦して、敗れた。
「だってめちゃくちゃ弱いじゃん!」
重量級コーチ就任の打診を受けたとき、鈴木桂治はまずそう思って尻込みした。「弱いからやり甲斐あるだろう」と言う当時の斉藤仁強化委員長に一度ははっきり断った。
「現役終わったばかりでコーチ経験もない。それで強くする自信はありません」
だが、自分の気持ちだけで断り切れるものでないことはその時から覚悟していた。
4年前、ロンドン五輪で惨敗した日本柔道は危機的な状況にあった。特に男子は金メダルなしの惨敗。日本創始の柔道が五輪競技に採用されて初めての屈辱だった。なかでも100kg級の穴井隆将、100kg超級の上川大樹がいずれも2回戦敗退という重量級の結果は、金ゼロの衝撃に拍車をかけるものだった。
大会後に篠原信一監督が退くと、同監督の下で重量級コーチを務めた井上康生が新監督に就任。現役時代のライバルだった鈴木に重量級コーチとして白羽の矢が立った。
ロンドン五輪代表を逃して代表引退した鈴木は競い合ってきた選手たちの実力、性分が骨身に染みて分かっていた。
「まずはあいさつができない。おはようございますが言えない。基本的なことができてなかった」
技術やフィジカルの問題ではない。まずは準備運動で先頭に立って走る気持ちを持てと叱咤し、「強化合宿で調整をするな。腹いっぱい食って朝から全力でいける態勢を作れ」と諭すことから始めなければならなかった。再建への道のりはそれだけ遠いスタート地点から始まった。