Sports Graphic Number SpecialBACK NUMBER
<3つの名勝負で振り返る>
日本ダービー激闘録。~1997年サニーブライアン編~
text by

江面弘也Koya Ezura
photograph byKeiji Ishikawa
posted2016/05/26 08:00

ダービーのレース中に骨折をしていたことが後から判明。その後も故障が続き、'98年に引退、種牡馬に。重賞馬2頭を輩出。
手に汗握り、度肝を抜かれ、感情をあらわに叫んだあのレース――。1年に1度の祭典の魅力が詰まった3大勝負を紹介しよう。
【1997 サニーブライアン】大混戦を制した“逃げ”の伏兵。
主役らしい主役のいないダービーだった。レベルの高い馬が集結したレースというよりも、個性的な馬が揃った'97年は、見ていて楽しいダービーだった。
皐月賞、ダービー戦線の人気の中心はランニングゲイルとメジロブライトだった。
それまで9戦2勝と地味な存在だったランニングゲイルは弥生賞を3馬身差で勝ち、一躍主役級のあつかいを受けることになった。祖父のサーペンフロの産駒はなべて大レースに弱く、父も名脇役として活躍したランニングフリーという血統は――金ぴかのブランド血統でないところは好感度が高かったが――GIでは少し足りないというのが客観的な見方だったろう。しかしマスコミの評価は武豊が乗るだけで高くなる。
メジロブライトは'90年のダービー2着馬メジロライアンの産駒である。見た目は父よりもほっそりとしていたが、勝っても負けても最後はしっかりと追い込んでくるレースぶりはライアンを彷彿させた。馬券も安心して買えるし、父が勝てなかったクラシックを勝たせてやりたいというファン心理も働いた。
ところが皐月賞に勝ったのはサニーブライアンだった。11番人気、単勝51.8倍の馬が向こう正面から先頭に立ち、まんまと逃げ切ってしまったのだ。2着にも10番人気のシルクライトニングがはいり、メジロブライトは4着、ランニングゲイルは6着だった。
こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
ウェブ有料会員になると続きをお読みいただけます。
残り: 942文字
ウェブ有料会員(月額330円[税込])は、この記事だけでなく
NumberWeb内のすべての有料記事をお読みいただけます。