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ジャイアント馬場没20年追善試合。
棚橋弘至が全日本三冠王者にかけた技。
posted2019/02/20 17:30
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
「ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~」は2月19日、両国国技館で行われた。
大会のオープニングを馬場のライバルであったアントニオ猪木が務め、試合には全日本プロレス、新日本プロレス、大日本プロレス、ノアなど内外のプロモーションからミル・マスカラスら61選手が参戦した。
ゲストには坂口征二、ドリー・ファンク・ジュニアやスタン・ハンセン、初代タイガーマスク、武藤敬司、馳浩らの姿もあった。
馬場の好敵手だった「黒い呪術師」アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーも行われた。78歳になったブッチャーは今では単独での歩行は困難で、2012年に引退を表明していた。ブッチャーは49年間のプロレスラー人生にピリオドを打つ10カウントを聞いた。
ブッチャーは目を潤ませながら「サンキュー」を繰り返して「この場に馬場にいてほしかった」と語った。
ブッチャーと馬場の死闘。
ブッチャーは馬場と日本プロレス時代から戦ってきた。地獄突き、フォーク、凶器シューズ……ブッチャーがそんなパフォーマンスで馬場を攻めれば、馬場は16文でブッチャーの額を蹴り上げ、チョップを容赦なく繰り出した。
ブッチャーの「キイェー」という悲鳴が耳に残っている。
ブッチャーは新日本プロレスのリングにも上がったことがあるが、日本プロレスや全日本プロレス時代の方がブッチャーのキャラクターが生きていたというのが正直な感想だ。
ブッチャーはカメラマンにもサービスを惜しまなかった。悪役だが、愛嬌のあるクリクリした目と連日の流血でギザギザになった額のキズが妙なアンバランスになって独特の人気を得ていた。
アメリカでブッチャーを取材したこともある。「またか」と言いながらも私のカメラの前にグイッとその顔を近づけてくれた。