相撲春秋BACK NUMBER
稀勢の里を横綱まで導いた
「考えていい、悩んでいい」。
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byTakashi Shimizu
posted2019/01/17 14:00
16日の引退会見で幾度も涙を流した稀勢の里。万感が込み上げた。
「応援してくれる人のために相撲を……」
「潔く引退するか、ファンの人たちのために相撲を取るのか、いつも稽古場で自問自答していました。
応援してくれる人のために相撲を続けようとの判断もあってやって来たけれど、このような結果になって、ファンの人たちには本当に申し訳ないという気持ちです」
と涙をぬぐう。
思えば横綱昇進以前の休場は、たった1日だけだった。「土俵に立ってこそ力士」と、矜恃を持っていたのが稀勢の里である。
しかし昇進以降は、8場所連続休場と不名誉な記録を作ることとなり“茨の道”を歩まざるを得なかった。
「一片の悔いもございません」
在位12場所で横綱の座から下り、土俵に別れを告げた稀勢の里は、
「横綱という地位は、自分自身を変えてくれました。
具体的には言えないですが、大関時代、幕内、十両もそうですが――まったく環境も変わりましたし、自分の意識も変わりました。本当に自分自身が変わったな、と。説明はしにくいですけど、自分のなかで本当に(横綱という地位が、自分を)変えてくれたなと思っています」
そう繰り返し、さらに頬を涙が伝う。
苦渋にまみれた横綱としての2年間。今はまだうまく言葉に表せずとも“何か”が大きく変わったと実感している。そんな稀勢の里は、今後は「一生懸命相撲を取る力士、ケガにも強い力士を育てたい」と未来を語った。まさにそれは、稀勢の里という力士――自身を投影し、表す言葉そのままでもあった。
14歳のあの頃のように、「考え抜いて 悩み抜いて 自分がわかった」――そんな境地で迎えた、稀勢の里32歳、引退の日。
「土俵人生において一片の悔いもございません」との潔い言葉とは裏腹に、まるで無垢な少年のように、とめどなく涙を溢れさせていた。