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初J2・FC琉球の「新戦力」として。
三上昴さんが池田純氏から学んだこと。
text by
瀬尾泰信(Number出版部)Yasunobu Seo
photograph bySports Graphic Number
posted2019/01/14 08:00
沖縄に腰を据える覚悟を固めた三上さん。念願の「感動や大義のある仕事」に日々邁進している。
もっと具体的に目標とスキルを確認!
NSBCの席で、池田さんに自分のもやもやとした思いを打ち明けたこともあった。でも返ってきたのは、思いがけなくも厳しい言葉だった。
「池田さんは、『そんな漠然とした思いで、何も決まってない段階ではどうにもならないよ』と真剣にアドバイスしてくれました。
もっと具体的に自分のスキルがどこにあって、何がしたいのかを考えなければならないし、そもそも自分で動き出さないと、前に一歩も二歩も踏み出さないと何も始まらないことに、改めて気づかせてもらいました」
三上さんは動き出した。もちろん第一希望はサッカー界で、日本サッカー協会のスタッフになることも視野に入れてはいたが、他のスポーツ業界であっても証券会社で培った財務系のスキルが活かせる場所があれば、と積極的に動いていた。そんな中で、FC琉球の話が突然舞い込んできた。
「知り合いを通じて、現クラブ社長の倉林啓士郎さんから熱心にお誘いをいただきました」
「上を目指すため、力を貸してほしい」
倉林さんは、東京大学在学中に会社を立ち上げ、サッカーボールをはじめサッカー用品のビジネスや施設の運営などを行うかたわら、2016年12月に無償で琉球FCの社長に就任。一時は債務超過でJリーグのクラブライセンス継続が危ぶまれたところからの再出発だったが、管理費削減のみならず、観客もスポンサーも飛躍的に増やし、クラブ創設以来初めてJ2ライセンスを獲得するなど、上昇気流に乗っている状態だ。
そして今、さらなる改革のために、外部に人材を求めていたところでの“出会い”だった。
「選手たちは本当に頑張っていて、J2昇格という大きな目標を成し遂げました。クラブ経営面でいうと、劇的に数字はよくなっているけれど、J1からJ3までの全54チームの中で言えば、まだ下から2番目くらいの状況で、クラブはもっと頑張らなければならないし、ここからもっと上を目指していくために、力を貸してほしい。
倉林さんが東京と沖縄の往復で、沖縄を離れることも多いので、社長室長として常駐してもらい、これまで培ったスキルを生かしてほしい、と」