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黒田博樹と北別府学、前田健太が
語った「カープのエース」の伝統。
posted2019/01/16 16:30
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Nanae Suzuki
球団設立当初から息づく独特の伝統があった。
しかし、古き良き時代はもう終わったのかもしれない。
時代と共に変わっていったカープのエース論。
Number962号(2018年9月27日発売)の特集を全文掲載します。
勝つことだけではなく、負けざまにこそエースの真価がある――。
入団5年目の2001年に自身初の2桁勝利となる12勝8敗をマークした黒田博樹は、こう確信してカープのエースとしての道を歩き始めた。
「その年に監督(第2期)になられた山本浩二さんと出会って、エースたるものは完投すべきと叩き込まれました。勝つだけならそういう投手はいくらでもいると思います。ただ、その中でプラスアルファが何かといえば一人で白黒つけるということ。あの年は山本監督にとにかく最後まで行け、という采配をしてもらった。それが僕のターニングポイントでした」
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この年27試合に先発して、約半分の13試合で完投。3完封を含む9完投勝利はもちろんリーグ最多である。
ただ、黒田が誇っているのは、実はこの白星の数だけではなかった。8つの黒星の中には、実に4つの完投負けがある。この数字にこそ黒田のカープのエースとしての矜持が込められていたのである。
厳しい負けを積み重ねることで。
2001年当時の広島は前年まで3年連続5位に低迷する弱小チームだった。
その中で黒田は開幕2戦目を任され、中日戦で9三振を奪いながら2対3の完投負けを喫した。そして2試合目の巨人戦も1対2でまたも完投で敗れている。残る2つの完投負けも0対1と2対4。いずれもあと少し打線の援護があれば、白黒がひっくり返ってもおかしくない試合だった。
「難しいというか、苦しいというか、もどかしいというか。自分一人じゃ何もできない無力感を感じていました」
こうして厳しい負けを積み重ねることで、黒田の中にはその無力感を振り払う哲学が築かれていった。同じ負けでも負け方がある。その負けざまにこそエースの真価は問われている、と。
「チームの中にマイナスを残さない負けがあると思いました。それは負けても自分一人で試合にケリをつけること。中継ぎやクローザーを休ませて完投するのが、エースの負け方だと思うようになったんです。完投がすべて素晴らしいとは思わないけど、気持ちの問題です。オレがエース、どこまでもやってやろうと、意気に感じてマウンドに立ち続けるぞと思うようになりました」