野球のぼせもんBACK NUMBER
高校閉校、大学中退、26歳でドラ7。
ホークス奥村政稔は攝津正の再来か。
posted2019/01/16 11:30
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
Koutaro Tajiri
年が明けて最初の取材は、攝津正の引退記者会見だった。
かつてのエースがユニフォームを脱ぐ決断をした。入団1年目の'09年に最優秀中継ぎ賞を獲得。先発転向後の'12年には沢村賞に輝いた。この両方を獲得した投手はプロ野球史において攝津ただ一人しかいない。
「平常心をモットーにやっていた。喜怒哀楽を出さないように心がけていました」
マウンドを離れても、それは変わらなかった。メディア泣かせの無口なタイプで互いに溝が生まれてしまったことも事実だった。しかし、彼が少し不器用なだけで、根っこがイイ男なのは誰もが知っていた。だから引退会見の最後には集まった報道陣から自然と拍手が沸き起こった。攝津もこの日は仮面を取り払ったような柔らかな笑顔を何度も浮かべていた。
苦節8年を経てのプロ入り。
清々しく、とても晴れやかな表情だった。
「現役10年間はあっという間でした。でも10年やれるとは思っていなかったので、今はすっきりしています」
プロ入り後については攝津本人も「上手くいき過ぎたんじゃないかと思う」と振り返るが、ドラフトで指名されるまでは長過ぎる道程を歩んできた。「大学なら4年だけど、社会人なら最短3年でドラフトにかかる」とJR東日本東北を選んだが、毎年候補止まり。
社会人7年目には日本代表でワールドカップに出場して優秀投手に選ばれたが、それでも声はかからなかった。「正直プロへの思いが少し薄れていました」と当時を振り返ったことがある。苦節8年を経て、ようやく手にしたプロ入りだったのだ。
まわるまわるよ、時代はまわる。そう歌った歌手がいる。
今年、攝津がプロ入りした時と同じ26歳で、ついに念願を叶えてホークスに入団してきた右腕投手がいる。
ドラフト7位ルーキー、奥村政稔である。