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巨人ファンから愛された内海哲也。
みんなで作り上げたつなぎのエース。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byNanae Suzuki
posted2018/12/21 17:00
2013年日本シリーズ第1戦、ヒーローインタビューに臨んだ際の内海哲也。その姿はまさに巨人のエースだった。
予想外な別れほど感傷的に。
正直、緊急クローザーを務めた山口俊のようなタフさも、すでに来季の中継ぎ起用が決定的な吉川光夫のような球の力もない。しかも田口麗斗、今村信貴、メルセデス、大江竜聖と20代中盤から10代後半の左腕先発候補の頭数は揃っている。
さらに今年のドラフト1位指名は大卒サウスポーの高橋優貴(八戸学院大)だ。内海自身も度々「先発一本で勝負」を公言。つまり、来季の背番号26の立場は、ローテの保険的な起用法がかなり限定される37歳の先発投手だったわけだ。
……なんてロジカルには理解できても、感情がついていかない巨人ファンも多いのではないだろうか。人的補償はその言葉の響きだけではなく、球団の守るべき「28名に入れなかった」というシビアな現実も突き付けられる。
自分の意志で新天地へ出て行くわけじゃない。かと言って、トレードとも意味合いが違う。あれだけチームに貢献したのに……と。恋人との別れと同じで、サヨナラは予想外で突然すぎるほど、あとあと引きずるものだ。だから、ファンも感傷的になってしまう。
みんなで作り上げたエース。
内海は間違いなく2010年前後のチームを支えた平成巨人を代表するエースのひとりだが、そこにいたる道のりは険しいものだった。
例えば、上原浩治や菅野智之は、1年目からほぼ完成されてプロ入りしたエース予備軍である。入団前から強いメジャー志向を隠そうとしなかった“雑草魂”の上原はいきなり20勝で投手タイトルを独占したし、“原辰徳の甥っ子”という重圧を背負って巨人入りしたルーキー菅野も2桁勝利を挙げ、日本シリーズではあの田中将大に投げ勝っている。いわば規格外の男たち。
だが、内海は違う。東京ガスから自由獲得枠で入団も1年目は一軍未勝利、2年目もわずか4勝と主力投手として定着するまでに時間が掛かった。ファンというのは不思議なもので、なかなか結果が出ない苦労している選手に、より感情移入して応援する傾向がある。
他球団から獲得した大砲を打線に並べ暗黒期と呼ばれていた時代、苦しみあがく痩せっぽちのサウスポーは巨人ファンの未来を照らす希望の光だった。当時の堀内恒夫監督もそんな若者を結果が出ずとも我慢して起用し続ける。
いわば、内海哲也は「みんなで作り上げたエース」だったのである。