松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
修造が訊く! 吉田信一(パラ卓球)は
なぜ人生を「ラッキー」と言えるのか?
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2018/12/24 08:00
写真左は、吉田信一選手を支えている小川真由美コーチ。東京パラリンピックでは、みんなの協力でメダルを狙う!
「人生的にはラッキーだと思います」
松岡「ケガをして、受け入れられなくて、苦しくて嫌な思いをしたけれど、パラスポーツに出会えて今は良かったと思えている。そんなドラマのような話もあるじゃないですか。でも、そんな甘いものじゃなくて……」
吉田「いえ、私もそっちだと思います」
松岡「えっ」
吉田「どっちかといったら、健常者の自分と障害者の自分を経験できたのは、人生的にはラッキーだと思います」
松岡「……ラッキー?」
吉田「ちょっと説明が必要ですよね……。
私が事故に遭うまでの17年間、高校まで行って、友だちと悪ふざけをしていたときに、自分のそばに車椅子の人っていたかな、と振り返ったときに、そういう人たちの姿を1人も思い出せないんですね。
でも、いくら福島の田舎であっても、車椅子の方が1人もいないなんてことは、あり得ないんですよ。
つまり、視界には入っていたけど、見えていなかったんです。
でも今度は自分が障害者になって、この自転車邪魔だよなとか、点字ブロックの上に置いちゃダメだよなって、そんなことを考えている。
そういうことが考えられるようになって、ある意味では良かったなと」
松岡「良かった……ですか?」
吉田「経験したくても、普通はできないじゃないですか。僕はその両方を経験できたんです」
松岡「吉田さんがそう感じているのは、本当にすごいことです」
吉田さんなら、パラリンピックで結果を残して、その『よかった』と思えることを、もっとたくさんの方に伝えていくことができるはず。そういうポジションにいると思います」
吉田「それはしていかなきゃいけないと思いますし、自分の話を聞いてくれる人がいるなら会いたいと思います。
ただ、自分はこのくらいの障害ですんでいる、と思っているんです。もっとひどい障害の人はたくさんいるし、もっと苦しみながら、いろいろなことを考えている人もきっといる。『自分がひとこと、何か言ったからといって何が変わるだろう』――そう考えている自分がいたりする。でもその一方で、『言わなきゃ変わらないんだ』って思いもある。
でも、松岡さんの言うとおり、健常者の人生と障害者の人生、両方に出会えた自分だからこそ、やっぱり伝えないといけないですね」