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多くのオファーから、なぜ長崎を?
手倉森監督「ものすごい強さで勝つ」
posted2018/12/11 10:30
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
Kei Totsuka
サッカーの監督でありながら、サッカー以外のことを考えている。戦術や戦略以外の角度からも、自らの仕事にアプローチする。
手倉森誠とはそんな監督である。
2008年から'13年まで采配をふるったベガルタ仙台では、J2で長くくすぶっていたチームをJ1との入れ替え戦出場、J2優勝でJ1昇格、J1残留、J1で優勝争い、ACL出場、と右肩上がりにレベルアップさせていった。一過性ではない強さを身につけた要因は、「利他の心」の浸透だっただろう。
「仙台のため、宮城のため、東北のために、一緒にベガルタを盛り上げていこう」との手倉森の呼びかけに、選手たちが共鳴していたことが躍進の原動力となった。'11年3月の東日本大震災後は、「被災地の希望の光になろう」を合言葉とした。
代表の指導で訴えた「誇り」。
'14年1月に就任したU-21日本代表で、選手たちにまず伝えたのは「国を代表して戦う誇り」だった。
'15年にU-22、'16年にはU-23とチームが変わっていくなかで、手倉森は「国を背負って戦う仕事は、誰にでもできることじゃない。我々は国民の誰かひとりでもいいから、生き甲斐を感じてくれるような試合をしなければならない」と訴えかけていった。
'16年夏のリオ五輪でU-23日本代表は活動を終え、手倉森は日本代表コーチとなる。'14年8月から'15年10月までは日本代表にも携わっていたので、実質的な復帰だった。
長谷部誠や本田圭佑らとコミュニケーションを深め、手倉森は日本代表選手が胸に宿す責任感と自覚に触れていく。「戦術や技術はもちろん大事だが、それだけでは戦えない。日本という国のために戦う、日本国民のために戦うといったもっと大きなものがチームを、個人を衝き動かすのだ」との考えを深めていった。