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ブッフォンの後を追う才能たち。
イタリアに名GKが生まれる理由。 

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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posted2018/11/14 10:30

ブッフォンの後を追う才能たち。イタリアに名GKが生まれる理由。<Number Web> photograph by Getty Images

インドネシア人の父とイタリア人の母を持つアウデロは、19歳でユーベのトップに昇格。今季からサンプドリアにレンタル。

トリノ界隈で知られた3兄弟。

 ユベントスの下部組織でアウデロが鍛えられていた頃、同じ町のライバルクラブ、トリノの育成部門には関係者の間でちょっと知られた存在のゴミス3兄弟がいた。

 アフリカ系GKというだけでもイタリアでは異色なのに、彼ら兄弟は3人ともゴールマウスを護ることで生計を立てると誓っていた。

 それからW杯を3度隔てた2018年の秋、次男アルフレドだけがセリエAの晴れ舞台でプレーしている。

 今季の序盤、好事家の間にゴミスの名が広まった。欧州5大リーグ中、開幕からの4試合で3試合を完封した唯一のGKがゴミスだったからだ。もちろん対戦相手に恵まれたせいもあるが、ゴミスは下部カテゴリーにいる兄弟との違いを問われた際、こう応えている。

「成功をつかむには幸運だけでは足りない。身体能力やテクニックだけでもダメだ。何としてでも目指すところにたどり着く、そういう覚悟が必要だと思う」

 昨季はU21イタリア代表のメレトと、今季はU21セルビア代表の大型GKミリンコビッチ・サビッチとのポジション争いを制し、スパルの正GKの座を勝ち取った。

川島や権田が師事したコーチ。

 ゴミスは実質的なセリエA史上初のアフリカ系レギュラーGKとして、残留争いに気を吐く。

 3歳でセネガルから北イタリアの田舎町に移民してきたゴミスは、市民権を得た後、U21イタリア代表に招集されたこともある。だが、16歳でようやく母国の言葉を覚えるようになってから父祖の地への思いが強くなり、自らのルーツを代表に選んだ。ロシアW杯の日本戦もベンチで見守った。

「ただし、僕は生活習慣も文化もイタリア式で育った。100%セネガル人だが、100%イタリア人でもある」

 ゴミスもまたイタリアのサッカー文化で育ったGKに他ならないのだ。

 5、6年前だか、パルマでフルゴーニというGKコーチにインタビューしたことがある。

 日本代表の川島永嗣や権田修一が師事していたり、2014年にFC東京時代のフィッカデンティ監督に請われて短期間日本でも働いたことがあるから、彼の名前を頭の片隅に覚えているファンもいるかもしれない。

【次ページ】 練習法は「私のオリジナル」。

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