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インドリーグの日本人サッカー選手、
久保木優は「ACLでJと戦いたい」。
posted2018/11/11 11:30
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph by
Minerva Punjab FC
真っ赤なターバンに、刀を抜いたユニホーム姿の青年――。ピッチの前には、ヒンドゥー教のチャンディー女神を模した、摩訶不思議な彫り物が不規則に並ぶ。これはインドの大道芸人の写真、ではなく、ある日本人サッカー選手の入団会見の様子である。
デリーからバスで北上することおよそ6時間。建築家ル・コルビュジエの作品が多く残ることで知られるチャンディーガルにホームタウンを置く、ミネルウァ・パンジャーブに今年入団したのが久保木優だ。競技人口が1億5千万人を超えるといわれるほどクリケットが盛んなインドにおいて、サッカー界の常識は全く通じない、と久保木は笑う。
「練習場には牛が溢れていますし、試合も銃撃戦で中止になりました。観客がヒートアップすると、試合中にバナナが投げ込まれるんです。日々が驚きの連続で、食事はもちろん毎日カレー(笑)。一方で、クリケットに迫る勢いでサッカー熱も上がってきていると感じる。社会と同じく混沌として、面白い市場ですよ」
アジア育ちのストライカー。
クラブから与えられた背番号は「10」。入団会見の様子は現地メディアでも紹介され、開幕戦前のカップ戦では自らのゴールで、チームにタイトルをもたらした。タイ、オーストラリア、インドを渡り歩いた久保木は、自身のことを冗談交じりに、「日本ではなく“アジア育ち”のストライカー」と形容する。
昨季のIリーグチャンピオンチームで、未踏のルートからACL出場を目指す29歳のストライカーの軌跡を追った。
久保木と初めて会ったのは、5年前に遡る。雨季を迎えジメジメとした気候が続く、タイ・バンコクの喫茶店だった。
ヴェルディユースを経て、国士舘大学を卒業した久保木は、日本でプロになれず異国で足掻いていた。やっとの思いで契約にこぎつけたタイ3部のクラブでは突如契約打ち切りという“アジアの洗礼”を浴び、飛び込みで各チームのテストを受ける日々。給料は物価の安いタイでギリギリの暮らしができる程度で、貯蓄も底をつきかけていた。