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ファンジオ伝説に並ぶ5度目戴冠。
成熟のハミルトンがF1で学んだこと。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byREUTERS/AFLO
posted2018/11/06 17:00
ドライバーズチャンピオン通算5回はベッテルやプロストの4回を上回り歴代2位タイ。1位は7回のシューマッハ。
チーム全体で強くなる方法を考える。
「もっと集中力を高めるにはどうすればいいのか? もっと時間をうまく管理できるようにする方法は何か? どうすれば、自分のレベルを引き上げることができるのか? どうやって、最高のパフォーマンスを絞り出そうか? そういったことについて、真剣に考えた」(ハミルトン)
第4戦アゼルバイジャンGPも、予選はベッテルにポールポジションを奪われ苦しい状況だったが、ハミルトンはライバル勢がミスやトラブルで脱落していく中、冷静なレース運びで終盤に逆転。今シーズンの初優勝を手にした。
だが、その後も楽なレースは続かなかった。
シーズン中盤の第9戦オーストリアGPでは、2年前の第16戦マレーシアGP以来、34戦ぶりにマシントラブルでリタイアを喫し、タイトル争いで再びベッテルの後塵を拝する。そんなときでも、ハミルトンが考えていたことは己を磨くこと。ただし、それは“チーム”も含めた方法だった。
「いくら自分のドライビングスキルを向上させても、マシンが速くなきゃ話にならない。マシンを開発しているのはファクトリーにいる技術者だけど、僕たちはそのマシンをサーキットで速く走らせるためにエンジニアと共にセットアップしている。
マシンが持っているポテンシャルを最大限引き出すためには、グランプリが行われているサーキットでエンジニアたちとどう仕事を進めていけばいいのかを意識しなければいけない。あるいはファクトリーに行って、エンジニアたちともっといい関係を築くにはどうすればいいのか、を考えながら、シーズンを過ごさないとね」
父アンソニーから学んだこととは?
条件が整わない中でも、マシンから最高のパフォーマンスを引き出す術を教えてくれたのは、ハミルトンにカートを薦めた父親のアンソニーだった。
「父は、僕につきっきりでレースを教えてくれた。8歳のときだったと思う。
僕がよく走っていたカート場で、ある日、父がコース脇に立って、こう言ったんだ。『ここでブレーキを踏め』って。それはそれまで僕がブレーキングしていた場所よりずっと奥だった。だから、僕は止まりきれずにコースをはみ出したり、何度もスピンしたよ。でも、あの特訓のおかげで僕はそれから、だれよりもブレーキングを遅らせることができるようになった」(ハミルトン)