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10年前のドラフトから考えるDeNA。
即戦力欲しさで迷走した辛い時代に。

posted2018/10/11 10:30

 
10年前のドラフトから考えるDeNA。即戦力欲しさで迷走した辛い時代に。<Number Web> photograph by Kyodo News

2007年春、ピンチの場面で早大エースの斎藤佑樹に声を掛けにいった捕手・細山田武史。

text by

小関順二

小関順二Junji Koseki

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Kyodo News

 NumberWebではドラフト会議のすべてを知るスポーツジャーナリスト・小関順二氏に依頼し、全12球団の10年前のドラフトを振り返って今を検証する、「2008年のドラフト会議、その後」という短期集中連載を企画しました!
 今回は、アレックス・ラミレス監督が就任してから3年目の今季、初めてCS進出が途絶えた横浜DeNAベイスターズです。

2008年のドラフト会議・横浜ベイスターズ

1位 松本啓二朗/外野手/早稲田大学
2位 藤江均/投手/東邦ガス
3位 山崎憲晴/内野手/横浜商科大学
4位 細山田武史/捕手/早稲田大学
5位 小杉陽太/投手/JR東日本

日本プロ野球史に残る“荒川事件”。

 この年の横浜のドラフト獲得選手の中には、私がプロ野球選手としての成功の目安にしている「投手は300試合登板、50勝(1セーブ、1ホールドは0.5勝)、野手は1000試合出場、500安打」をクリアした選手は、残念ながら1人もいない。

 そういう中で私が最も注目したのは、1位松本啓二朗(外野手・早稲田大学)という選手の存在だ。

 球団名が大洋ホエールズだった1969年。もともと巨人入りを訴えていた荒川尭(遊撃手・早稲田大学)を大洋は1位指名した。ところが荒川は巨人入団の意志を曲げず、浪人までも覚悟。入団交渉もままならないまま年が明けた1月5日のことだった――荒川は、自宅近くで大洋ファンと思われる暴漢に頭部を殴打されたのだ。

 その後の荒川は、入団直後の移籍を前提に大洋と契約したのちヤクルトに移籍(翌年、開幕から1カ月の出場停止処分)。その後の野球人生を狂わされたと言われている。

 この一件以来、大洋・横浜にドラフトを経て入団した早大の選手は1人もいなかったのだ('88年5位の日本石油・石田文樹は早大を半年で中退した選手)。

 松本の成績といえば、なかなか一軍に定着できないまま'17年に戦力外へ。今季から社会人野球の新日鐵住金かずさマジックでプレーしている。

 松本だけでなく4位の細山田武史(捕手)も、早大の選手だった。

【次ページ】 斎藤佑樹の女房役からの脱皮。

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