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中日・荒木雅博は、なぜ「さよなら」を
言わないのか。それぞれの引き際。
 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byKyodo News

posted2018/10/06 08:00

中日・荒木雅博は、なぜ「さよなら」を言わないのか。それぞれの引き際。<Number Web> photograph by Kyodo News

長年にわたって中日のセカンドを守り続けた荒木雅博。ドラゴンズファンなら彼の貢献度、そして人柄を深く知っているだろう。

外れ外れ1位の原点は15歳の冬。

 1996年、外れ、外れの1位でドラゴンズに入団した。抽選の運によってはからずも「ドラフト1位」の看板を背負ったが、ファンの期待や注目とは裏腹に最初は打撃ケージから打球が出なかった。過大評価と線の細さのギャップにスカウトまでが「気の毒なことをした。悪いことをした。いつ身投げするか、心配だった」と言うほどだ。

 そんな男が、名球会に入り、23年間も駆け抜けてこられた理由はなんだろうか。

 原点のように思えるのは、荒木雅博、15歳の冬のことだ。

 すでに中学時代から熊本県内では知られた存在だった荒木のもとには、強豪校から野球特待生としての話がいくつか来ていたという。さらには名門・熊本工からも本人が希望すれば、野球部に欲しいという誘いがあったという。

 ただ、中学の指導者を通じて、これらを聞いた父・義博さんはあえて息子にそれを告げなかった。

「別に大したことのない選手だと思うとったし、高校っていうところは、ばってん、スポーツするところじゃない。勉強するところやと考えとったから。熊工に行きたいなら、勉強でいったらええ、と。それだけですよ」

一般入試まで灯った部屋の明かり。

 熊工から甲子園、プロ野球へと夢を描いていた荒木は、自分が野球で評価されていることを知らずに、その冬は勉強に打ち込んだ。

 2月。学業推薦の試験に落ちた。

「しょぼんとして帰ってきたから『まだ一般入試がある。それが本番や』と。そんなに熊工に行きたいんなら、それは応援しようと思うっとったんです」

 それから3月の一般入試までの間、菊池郡菊陽町の実家2階の荒木の部屋には、いつも夜中まで明かりが灯っていたという。

 しんしんと冷える冬の夜。たまに階段を「トントントン」と降りてきては、庭に出て、素振りをしていた。

 父は居間で、その音を黙って聞いていた。

「別に美談なんかじゃない。プロ野球選手なんかになってしもうたら、あとで苦労すると思ったただけ。本当に普通の子やったからねえ」

【次ページ】 落合博満が口にしていた評価。

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