【NSBC補講I】 池田純のスポーツビジネス補講BACK NUMBER
「インテグリティ」ってなんだ?
池田純が語る曖昧な言葉の危うさ。
posted2018/09/06 10:30
text by
池田純Jun Ikeda
photograph by
Kyodo News
「インテグリティ」って何だかわかりますか?
辞書的な意味では「高潔」ですけど、そう言われても正直よくわかりませんよね。私も各所で色々な説明を聞きましたが、未だにしっくりきていません。
スポーツ庁は今年の6月に、「スポーツ・インテグリティの確保について」と題して書面を発表していますが、私がとある協会にいたときにも、選手の不祥事に伴って「インテグリティ」という言葉をお題目のように唱え、選手や末端に浸透させろという号令が飛び交っていたような印象があります。
日本にはスポーツマンシップというイメージしやすい言葉があります。なのに英語にそこまで強くない日本において、なぜ馴染みがなく、わかりにくい言葉を使おうとするのか、疑問を感じます。
「高潔」という言葉は立派ですが、具体的に指すところがピンときません。完璧な人間などいないのに、スポーツ選手やスポーツに携わる人に、「完璧」を求めてしまうような、範疇の広い言葉に感じます。
そして問題なのは今回起きたバスケ選手の買春はもとより、体操協会のパワハラ問題がインテグリティを元に処分を決めていると主張すらできてしまうところです。
インテグリティが無いのは誰か?
選手とコーチは“親子”のような関係で、選手の親ですらそれは十分理解していると、選手は主張しているわけです。
暴力自体の問題とは別にして、その関係性に対して外野から、「おかしい」とケチをつけていいのでしょうか。
会見を見ていても同様のことを感じました。
選手は五輪に向けて公共の目にさらされながらも必死に正々堂々頑張っているというのに、協会の幹部たちは正々堂々としていないような印象を受けてしまいます。
インテグリティがないのは選手ではなく、協会自体ではないでしょうか。