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中田英寿を平塚に連れてきた男。
甲府の名スカウトが語る目利き術。
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byMasayuki Sugizono
posted2018/07/24 17:30
来季加入内定の中山陸(左)に声を掛ける森淳氏。プロビンチアの甲府にとって、敏腕スカウトの存在は何よりも大きい。
柳沢、俊輔にアタックも……。
当然、2年目からも期待された。目玉選手の獲得に走り、富山一高の柳沢敦、桐光学園の中村俊輔らの大物を追いかけてオファーを出したが、振られ続けた。
「競合するたびに負けて……。誰も来てくれなかった。この仕事が嫌になりかけていた」
資金力があり、強豪と呼ばれるクラブには太刀打ちできなかった。途方に暮れかかったとき、高校、大学の実績にとらわれない独自のスカウト路線を歩むサンフレッチェ広島からヒントを得る。
チームの主力を見ると、高卒で加入した上村健一(広島・松永高出身)、久保竜彦(福岡・筑陽学園高出身)は全国的に無名な存在。それでも、チームで育てて、戦力としていたのだ。
「こういう手もあるのかって」
無名の石原直樹、中町公祐を発掘。
時代背景も影響した。'99年には平塚の親会社だったフジタ工業が撤退。クラブの財政事情が悪化したことも重なり、低予算でのスカウト活動を余儀なくされたのだ。ここで方針を大きく転換する。
「自分が育ててみたいと思う選手を探そう」
もともとはコーチ志望。性に合った。
インターハイ予選、高校選手権予選で無名の高校がベスト8、16に残っていれば、人知れず足を運んだ。
そこには何かあるはずだ――。
すると、1人で攻撃も守備もこなし、チームも引っ張っていく選手たちに出会う。指導者が教え込んで、教えられるものではない。高崎経済大附高の石原直樹(湘南→大宮→広島→浦和→現仙台)、高崎高の中町公祐(湘南→慶応大→福岡→現横浜FM)は群馬まで足を伸ばし、見つけてきた。年代別代表の経験もなければ、全国大会出場経験もなかった選手たちだ。