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なぜ突然Jリーガーから俳優に!?
青山隼が語る芸能活動と引退秘話。

posted2018/07/21 11:30

 
なぜ突然Jリーガーから俳優に!?青山隼が語る芸能活動と引退秘話。<Number Web> photograph by Takahito Ando

この夏、古巣・徳島の“レジェンドアンバサダー”に就任した青山隼。俳優活動の傍ら、チームのPR活動も行うそうだ。

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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Takahito Ando

 2015年の初夏のこと。突然、筆者の携帯電話に着信が入った。

 当時、徳島ヴォルティスに所属していた青山隼だった。「何だろう」と思って電話に出てみると、少し神妙な口調でこう口にした。

「安藤さん、俺、サッカー選手辞めます。引退します」

 衝撃だった。この時、彼はまだ27歳。徳島でもこの時期は試合にこそ出場できていなかったが、シーズン開幕スタメンでレギュラーからのスタートであり、いくらでも巻き返せると思っていたからだ。

「もう踏ん切りは付いています。それに……何だろう、とても清々しいと言うか、この決断に後悔はないです」

 あまりにもはっきりとした口調に、筆者は「そ、そうなのか……ひとまずはお疲れさま」という言葉以外出てこなかった。

 そして、彼は本当に選手を退いた――。

「『役者という道もある』と言われた」

 引退後しばらくが経ち、次に青山隼の名を聞くことになったのは思わぬ形でだった。

 2016年の秋、彼が俳優に転身し、舞台やテレビに出演するらしいと、知人から教えられたのだ。

 そこからの彼は、TV番組や舞台に出演し続け、着々と芸能の仕事に邁進していった。

 時にはサッカー関連の仕事もしながら、新たな道を進む青山に今年6月に久しぶりの再会を果たすと、彼はサッカー選手を引退してからの今までの経緯を、ゆっくりと丁寧に語ってくれた。

「サッカーを辞めようと決めてから、ずっと『次は何をすべきか』を考えていたんです。そこで伯父と伯母に相談をしたら、『役者という道もある』と言われた一方で、『30歳を超えてからの転身だとあまり印象が良くないし、大変だと思う』とも言われ、僕の中でも役者やモデルなどに興味はあったし、決断するなら27歳である今しかないなと。

 もともと引退してフロントに入ったり、コーチ業などをやるという考えがなくて、このタイミングで潔くまったく違う畑で1からやり直した方がいいんじゃないかと思いました。どうなるか分からないけど、チャレンジし甲斐があるなと思ってやるようになりました」

【次ページ】 あの篠ひろ子と伊集院静に相談!!

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