スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
アメリカ人はなんでも15秒で話す。
懐の深さと反知性主義が同居する国。
posted2018/07/23 08:00
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
2018 Regents of the University of Michigan
この映画には、アメリカ大統領選挙が行われ、誰もドナルド・トランプが大統領になるとは信じていなかった2016年秋の、アメリカの姿がある。
想田和弘監督の『ザ・ビッグハウス』は、ミシガン大学のアメリカンフットボール・スタジアムを舞台にした観察映画であり、広くスポーツ・ムービーのカテゴリーに入る映画だと思うが、監督をはじめミシガン大学の学生たちが撮影したシーンには、「トランピズム」が浸透していた影がハッキリと映っていた。
観察映画ならではのユニークさである。
その意味で、この作品はスポーツについての映画であると同時に、深く、深くアメリカについて考えさせられる作品になっている。
撮影当時のことを、想田監督はこう振り返る。
「まさか、ヒラリー・クリントンもミシガンでは負けると思っていなかったんです。だって、直前までミシガンには遊説には来なかったんですから。みんな、油断していたんです。イリノイ大学との試合の時、スタジアムの向こうにトランプを応援する“山車”が通る。それはまるで映画『ジョーズ』のサメのように、人々の背後からひっそりと忍び寄っていたんです。でも、フットボールを見ているファンは、誰もそれに気づかなかった」
撮影が終わり、映画を編集、構成する段階になって、監督は「パンとサーカス」というローマ詩人のユウェナリスの言葉を連想したという。
「権力者は、無償で人民にパンとサーカスを与えて統治するという皮肉なんですが、現在のアメリカにも当てはまると感じました。日常の中に、危険性が潜んでいたんです」
白人への罵りは許容されてきた。
アメリカの人たちは、危険が迫っていたことに気づかなかったのだろうか? メディアには、中流から転落していく白人層の声が聞こえなかったのだろうか。これが日本に住む私が持つ疑問だった。
ニューヨークに住む想田監督は、アメリカで進行していた問題を、次のように分析する。
「アメリカでは、白人に対するののしり言葉が、メディアでもある程度は許容されてきたという事実があります。ただし、差別されている側が感じてきた痛みには鈍感だったと思います。以前から共和党の政治家はそうした層にメッセージを訴えていましたが、トランプが登場するまで、それは特定の人にしか聞こえない“Dog Whistle”、つまり犬笛だったと思います。聞くつもりのない人には、聞こえない音だったんです。
ところが、トランプが大統領選挙に出馬して、それまでの政治、社会に怒りを感じていた人たちの不満が一気に顕在化した。トランプは、そうした感情が表に出てくるためのキッカケに過ぎなかったと思います」