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杉本清×草野仁×井崎脩五郎が大集合!
平成のダービーを外れ馬券で振り返る。
text by
薦田岳史(Number編集部)Takeshi Komoda
photograph byTakashi Shimizu
posted2018/05/21 08:00
平成時代の日本ダービーを語り尽くした(左から)井崎脩五郎、杉本清、草野仁。
ナカノコールがユタカ、オグリに?
井崎 あれで「○○コール」が始まったわけですからね。最初が「ナカノ」の3文字だったからそれ以後も「ユタカ」「オグリ」「イケエ」「シバタ」とみんな3文字。
杉本 ナカノコールが原型を作ったのかもしれない。
井崎 あのダービーの夕方、東京競馬場の駐車場に背が高いご高齢の方が1人で立ってらしたんです。よく見るとカブトヤマでダービーを勝って、調教師としてもオートキツを育てた名伯楽、大久保房松さんだった。
杉本 当時だと、かなりのご高齢ですよね。
井崎 92歳。一緒にいた鈴木淑子さんが寄って行って「大久保さん、今日のナカノコールはいかがでしたか」と聞いたら「あんな大声援で迎えてもらえるなら、もう一度乗り役になりたい」とおっしゃった(笑)。
トウカイテイオーやミホノブルボンも。
――翌'91年は“皇帝の息子”トウカイテイオーが無敗の2冠馬になりました。
井崎 トウカイテイオーはパドックを見ているとつなぎが柔らかくて、人間にたとえるとくるぶしのあたりが地べたにつきそうなぐらい柔軟だった。お父さんのシンボリルドルフともまた違う特殊な馬でした。
杉本 大外の20番枠でしたね。騎乗した安田隆行さんに「えらい枠に入ったな」と聞いたら「外枠でいいんですよ」と。内枠に入ったら馬込みの中で邪魔をされる危険がある。堂々と外をぐるっと回ってくれば勝てると言わんばかり。実際にその通りのレースで圧勝しました。はじめから自信満々だったんです。
草野 皇帝シンボリルドルフの初年度産駒から「帝王」と名のついた素晴らしい馬が出たのは、より一層ファンの気持ちを駆り立てることにつながりましたね。そして'92年。ミホノブルボンが勝ったこの年は皐月賞の前から、ダービーはこの馬しかいないと思ってまして。ブルボンを軸に馬連総流ししたんです。ブルボンが直線で他を引き離して「もう馬券も獲った、あとは2着争いだけど、なにがきてもいいや」とか言いながら仲間内で見ていたら、横で女性ファンが「なんでもよくない!」と大声で(笑)。彼女はミホノブルボンとライスシャワーの馬連を買っていたんです。
井崎 配当は29580円もついたから確かになんでもよくはない(笑)。この年はミホノブルボンが15番でライスシャワーが13番。僕の本命はその間に挟まれた14番ゴールデンゼウスだったんだけど、枠連にしとけばとレース後に思いましたよ。